これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

保育園
  • 娘が発表かいに出れた理由は保育園の先生の引き寄せ!

    保育園

    娘が発表会に出れた理由は保育園の先生の引き寄せ!
    長女はA保育園の4歳クラスに所属しています。所属していると書かざる得ないのは現在通っていないからです。長女が1歳になる前にA保育園に預けて働きはじめ、当時は慣れない育児と仕事の両立で、ジェットコースターのような毎日でした。現在は第2子の育児休業中で長女はA保育園に通うことは出来るたのですが、コロナ禍で次女を連れての毎日の送り迎えするのが怖くて半年以上お休みしていました。旦那が休みの時など一人で行ける時を見計らって保育園に定期的に手紙を取りに行くのですが、毎回小学校の時に長い髪をショートにして始めて登校しなきゃならない時のような気持ちで、保育園に行くことがどんどん苦痛になっていました。ある土曜日に行くと娘を0歳クラスで担任してくれていてその年に退職した“ようこ先生”と入口で会いました。「先生また来られてるんですか?」。「急に病欠が出て一か月だけお手伝いに来てるんですよ。お母さん元気そうですね。出産おめでとうございます。琴ちゃんは元気ですか?4歳ですよね。お姉ちゃんになったんですね。」そのまま暫く立ち話をしました。すごく心が癒され明るい気持ちになりました。「来月簡単な発表会があるから出来たら何回か練習に来て出ませんか」と今の担任の先生に言われていて正直言って面倒な気持ちが強くて長女には言っていませんでした。でもようこ先生と話て長女が可哀そうに思えて来ました。「保育園に行くのももう2年もないんだ」と改めて思いました。翌週から頑張って起きて、発表会まで長女を午前中だけ保育園に通わせました。長女はすごく楽しいようで「ようこ先生と鬼ごっこをした」とか保育園での出来事を嬉しそうに毎日話てくれました。寒くなってきて感染者も増えているのでまた長女は休ませていますが発表会で成長した長女の姿を見ることが出来て本当に良かったです。ようこ先生に再開できて本当に良かった感謝しています。

  • 親だけでなく母親のメンタルケアもしてくれた保育園の先生に感謝!

    保育園

    息子が1歳になったのを機に仕事に復帰しました。繁忙期と閑散期の差が激しい職場で、私が復帰したころはちょうど繁忙期の山の頂上から後処理をしている時期でした。息子は幸いにも病気になることは少なく、急な呼び出しの電話などは私が覚悟していたほどはありませんでしたが、夜泣きがひどく、保育園に預けてからはさらに夜眠れないことが増えてしまいました。夫も家に帰ってから3時間ぐらい息子を連れて3時間ぐらいドライブに連れて行ってくれたりと協力はしてくれたのですが、仕事で閑散期に入ったぐらいで疲労がたたって出勤してすぐにめまいを感じ、その日は有給を取得することになりました。保育園に仕事が休みになったので迎えに行く旨を電話して迎えに行くと、保育園の先生が「顔色が悪いけど大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。職場で体調が悪くなって休みにしたことを伝えると、先生は「じゃあ、連れて帰ったら大変じゃないですか!」といつもの時間まで預かってくれると言ってくれました。いつも送っていくと泣いていたので預けていて大丈夫か不安だったのですが、先生が察して保育室のドアから子供の様子をこっそりのぞかせてくれました。朝はあんなに泣いていたのに、保育園の先生の手作りのおもちゃで楽しそうに遊んでいました。そして、「子供だけじゃなくて本人も困ったことがあったら是非相談してくださいね!」と念を押されました。その日はがっつり眠ることができ、本当に助かりました。また、いざとなったら頼りになる保育園の先生がいるというのが心強く、スムーズに仕事復帰することができました。

  • 写真と共に鮮明に蘇る、幼稚園の思い出

    保育園

    幼稚園を卒業したのはもう何十年も昔になってしまいました。しかし当時の園のこと、先生方、お友達のことは覚えています。今の時代なかなかやらないであろうことを、当時はすんなりとやっていたという、その思い出の1つとして、お芋ほりがあります。幼稚園のみんなで2人一組で男女手をつなぎ、園から離れた畑まで徒歩で行ったこと。大きな広い畑でさつまいもを掘ったという出来事ですが、普段、野菜嫌いな自分ですら、お芋が畑の土からできていることを5歳くらいから知っています。園のみんなでお芋を掘って、泥だらけになった様子にサツマイモを持ち、先生と楽しそうな笑顔で撮った1枚の写真があります。先生は上野先生という、髪の長い美人な若い先生でした。先生との楽しい思い出はそれだけではありません。歌や音楽会の練習も楽しかった記憶があります。不思議なことに今でも、幼稚園の時に習った歌を覚えています。年に1度の音楽会では「アメリカン・パトロール」を合奏。その練習で私はピアノを習っていたので鍵盤ハーモニカを担当し、すんなり弾けた記憶があります。先生はその他、太鼓や木琴、トライアングル、タンバリンなど、子どもたちそれぞれに忍耐強くおしえてくれ、無事に発表会では止まることなく完成できました。よくあんなに小さい子供たち、しかも、楽譜の読めない子たちに怒らずに優しくおしえてあげられるもんだなと、子育てをしている今だからこそ、感心してしまいます。今でも幼稚園の写真と共に、楽しい思い出たちが鮮明によみがえります。

  • ケガをしたときの対応がうれしかった

    保育園

    子供が幼稚園でケガをしたことがあります。外で遊んでいたときに転んでしまったようです。私が幼稚園のお迎えに行ったとき、子どもの膝には絆創膏が貼られていました。ちょっと擦りむいたようなものではなく、出血してしまったようです。転んだときのことを幼稚園の先生が伝えてくれて、盛大に泣いていたと話していました。子どもは男の子なのですが、男の子の場合だと「男の子なんだから泣かないの!」という人が少なくありません。私はそれは男女差別だと思います。男の子でも泣きたいときはあります。通っていた幼稚園の先生でも子どもが泣いたときに「男の子なんだから泣かないの」という人がいたのですが、このときに対応してくれた先生はそうではありませんでした。家に帰ってから子どもから聞いたことなのですが「痛いの痛いの飛んでいけ」とおまじないをかけてくれたそうです。やってもらったら、子どもの痛いのが治まったのだそうです。私も小さいときには、親に痛いの痛いの飛んでいけをやってもらっていました。今もこういうことをしてくれる人がいるのだなと思ったのと、優しく対応をしてくれたことをうれしく感じました。子どももうれしかったことでしょう。優しい先生に恵まれてよかったです。

  • 園長先生ありがとうございました

    保育園

    私には、二人の子供がいます。上の子が女の子で、下の子が男の子です。上の子が幼稚園に行っていた時に下の子を妊娠しました。お姉ちゃんが幼稚園に行くといつも園長先生が笑顔で迎えてくれて、優しく話しかけてくれていました。園長先生も担任の先生もとても優しかったので安心して幼稚園に通うことができました。お姉ちゃんも毎日幼稚園に行くのを楽しみにしていました。そして、下の子を妊娠して出産しました。赤ちゃんは、昼間も夜中も泣くのが仕事です。夜中に何度も授乳をして寝られなくても朝になると朝食の準備をして、お姉ちゃんを幼稚園に連れて行きました。夫も祖父母の助けもありませんでした。そんな毎日を繰り返していると、私の身体に変化が現れました。夜中に赤ちゃんの授乳に起きた時や、朝起きた時に歩こうとするとめまいがして真っ直ぐに歩けなくなりました。とにかくめまいがして気持ち悪くなり吐きました。それでもお姉ちゃんは、幼稚園に行きたがっていましたが私の体調がすぐれないので幼稚園に連れて行くことができないので、幼稚園にお休みをする電話を入れました。そして、子供の具合が悪いのではなくて自分の具合が悪いので休ませてもらうことを言うと、園長先生が私の家に迎えに行くと言ってくれて送迎をしてくださいました。そして、私の体のことも心配してくれてメニエール病ではないかと教えてくれました。そのとおりでした。本当に優しい園長先生に親子共々感謝しています。

  • 保育園の先生に子供の絵を褒められて親子で幸せでした。

    保育園

    うちの子は絵を描くのが大好きな子でそこを保育園の先生にすごく褒められたことが今でもとっても嬉しい出来事でした。おかげで子供も絵を描くことにとても自信をもっているので、学校に上がってからも賞などをいくつもとっています。それは保育園の先生などに褒められたことによって、のびのびと自分を表現できているんだとおもいます。年長さんになったときに、大きなキャンバスにみんなでいっせにお絵描きをするという授業がありました。そこでうちの子が大きな虹を描いたそうなんです。そこにみんなで虹を歩いている人を描いたり星を書いたりしてすごく楽しかったんですよ!って先生が褒めてくれました。うちの子はうれしくなったみたいで、虹に階段を描いたそうです。そこにまた違う子が昇っているところを描いたり、猫ちゃんが橋をのぼっているところを描いたといっていました。他の先生もすごく気に入ってくれたみたいでしばらくの間保育園の玄関にずっと飾られていました。「〇〇君のおかげでとっても素敵な絵が完成しましたね。将来とっても優秀なデザイナーとかになるんじゃないですか?」って言われました。子供には「〇〇くん。とっても素敵な絵を描いたね。ありがとうね。みんなの宝物だね」って言ってくれました。

  • 手のかかる私にいつも優しくしてくれた幼稚園の先生

    保育園

    幼稚園児だった私は母の事が大好きで、毎日、私を幼稚園に送って去ろうとする母から離れようとせず大泣きして、母と幼稚園の先生を困らせていました。この奈良で大和高田の保育士を求人でもここがなんとか母と別れることが出来たとしても、幼稚園にいるあいだ、事あるごとに母を思い出しては、自分の組の担任の先生に「お母さんは?お母さんに電話してー。」とぐずっていました。そのたびに先生は私を電話の前まで連れて行き、受話器を取って母に電話をかけて話す「フリ」をしてくれました。もちろん、市川市で痛みの少ない胃カメラはここに当時の私は本当に電話をしてくれていると思っていました。先生が「お母さん、あとでちゃんと迎えに来るからねって言っているよ。子どもを奈良の保育園に口コミで入れるにはどこがそれまでお友達と遊んでおいで」と言ってくれると、安心して友達のもとへ行けたのを覚えています。まぁ、またしばらくすると母が恋しくなって先生に訴えるのですが…。ある日、いつも以上に母がそばにいないことに不安になり、友達とも遊ばずにずっと泣いていたことがあります。きっと先生も忙しかったはずなのに、ずっと私のそばについていてくれてお話してくれました。どうして多くのエレメンタリースクールの中で神戸でも普段は友達と遊んで過ごす幼稚園、先生とふたりきりで長い時間おしゃべりすることはなかったので、この時間をきっかけに私は先生のことがもっと好きになりました。これは後ほど知ったのですが、その日の私は「今日は先生のお家に帰ってお泊りする!」とまで言っていたそうです。どうしてインターナショナルスクールの神戸も大人になって振り返るとなんて手のかかる子だと我ながら呆れますが、いつもまっすぐ丁寧に向き合ってくれた先生には感謝しかありません。


  • 保育園の先生と実家で誕生日パーティ

    保育園

    先日、久しぶりに実家に帰省した際、懐かしい写真を発見しました。写真の中には、保育園に通っていたころの私と、母親と、それともう一人の女性が写っていました。その女性は保育園の先生で、私の母親と仲が良かったこともあり、誕生日パーティに招いた際のワンショットだったのです。で、この時の写真を見ているとですね、不思議なことに、当時何をしたか、鮮明に思い出すことができたんですよね。一緒にご飯を食べたり、ケーキを食べたり、トランプでゲームをしたり、めちゃくちゃ楽しかったのを覚えています。こんなことをいうのもなんですが、長い人生の中でも、これ以上に、楽しくて、幸せで、温かい気持ちになった瞬間ってないんじゃないかな。当時は悩み事なんて全くありませんでしたし、大好きな人たちに囲まれて、本当に素敵な時間でした。ちなみに、この先生は、私が小学生くらいのころに、結婚を機に他県に移っていったとのことです。お見送りとか、そういうのは全くしなかったのが、今となっては悔やまれますねえ。ただ、母親とは今でも親交があるそうなので、できればまた会いたいなあ。これまでの人生、いろんなことがありましたが、この写真は(さっきも言ったように)とても幸せな瞬間なので、複製し、自宅に飾ってあります。

  • 運動会で先生のきめ細やかな気遣いに感動

    保育園

    私の息子は幼稚園の運動会前に風邪をひき、運動会の練習を3日休んでしまいました。ただでさえ物事の飲み込みが遅い息子、主人と私は大恥を覚悟で運動会を見に行ったのです。まともな所もあれば、やっぱりと思う所もありましたが、3日休んだ点を考慮すると上出来で感動しました。その裏には先生のきめ細やかな気遣いがあります。体操で立ったり座ったりのタイミングがずれていた息子の側を通る時に、先生は止まらず自然に息子の肩を押さえてタイミングを合わせてくれました。傍目にはきっと気付かれていません。親としては、大勢の子供の中で自分の子供だけ指導を受けるのは何とも恥ずかしいです。子供には申し訳ないですが、やっぱり他の親の目が気になります。しかし先生はナチュラルに、通りすがりの感じで肩を押さえてくれたので、目立たずタイミングの修正が出来ました。全く静止せず、通過しながらの修正は大変ですし、その上、笑顔で細かい点までお気遣い頂いて、本当嬉しかったです。正直、3日休んでいなくても、息子の出来は他の子より劣ったと思いますが、私が見る限りでは、体操のタイミングのズレ以外におかしな点は見られませんでした。先生が必死教えてくださったのだと思います。

  • 娘の幼稚園の先生が、実はうちのご近所さんのお孫さんだった話

    保育園

    娘が3歳になって、来年4月からの入園準備のため、月に1回行われる幼稚園の体験入園に参加していたときのお話です。私自身は幼い頃、保育園にしか通ったことがありません。幼稚園という場所がどんな感じなのか分からなかったため、初めての娘を幼稚園に通わせることは、正直少し不安でした。体験入園には思ったよりも多くの2、3歳の子供達とご両親が参加していて、それなりに有名な幼稚園なのかもと、気後れしたのを覚えています。我が家がここの幼稚園を選んだのは、ただ家から1番近かったからというだけの理由でした。他のお母様達は教育熱心なのかしら、先生は厳しいんじゃないかな、などと、母親なのにオロオロしてしまっていたときに、話しかけてくれた若い先生がいました。「こちらの幼稚園に来られるの初めてですよね?」と聞かれたので、「家から1番近いから、ここに通わせようと思ってるんですよ。」と、多少の申し訳なさを感じながら正直に話していたときです。その先生が、「そうなんですか?私の実家もすぐ近くなんですよ!◯条◯丁目なんです」と教えてくれたのです。その住所を聞いてびっくりしました。住所は我が家のすぐ近くでした。あそこの道のあの辺ですか?そうそう!そこの何件目です!と、答え合わせをしていてようやく気がつきました。先生の名前は◯◯さん。我が家の斜め向かいのお宅も◯◯さん。若い先生は、我が家の斜め向かいに住むお爺ちゃんのお孫さんだったのです!それを聞いて、なんだかとても親しみがわき、さっきまで気後れしていた気持ちが嘘みたいに明るくなりました。私は子供の頃気がつきませんでしたが、先生は子供の頃、我が家で飼っていた犬のところにちょくちょく遊びに来てくれていたそうです。子供の頃はお互いに知り合わなかった私たちが、大人になってから、子供を通して知り合うことが出来ました。なんだか人のご縁を改めて感じ、嬉しい気持ちになった出来事でした。