これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

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  • 溢れ出る思いが止まらない幼稚園の先生とのホッコリエピソード

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    園児への思いが強すぎて、保護者との会話でも溢れ出る思いが止まらなくなってしまう、そんな幼稚園の先生のお話し。家の息子は感情が豊かなのですが、その分気難しい所があり、そのせいで幼稚園のお友達と度々喧嘩などをしてしまうことが有りました。幼稚園から子供が帰宅後に先生から電話があり、今日は〇〇君と少し喧嘩になってしまって……なんてことを報告されることもしばしば。ある日、いつものように子供が帰宅後に先生から電話があり「またか」と思っていました。ただ、その日の先生はいつもとは少し様子が違っており「なにか大きなトラブルだろうか」と不安になりましたが、先生は興奮気味に早口で話し始めました。「今日はお友達とかるたをやっていたのですが、△△君(家の息子)が負けてしまって。ただ、いつもなら怒るんですが、ギュッと手を握って我慢してから、お友達に強いね、負けちゃった、って言っていたんです。私、△△君の成長に本当に感動して、思わず偉いね、我慢できたねってハグしてしまいました」と、話すうちにだんだん早口に、テンションも上がっていくのが電話越しに分かりました。さらに「子供が何かを乗り越えて成長した時の感動って、言葉では言い表せない嬉しさが有りますよね」と続け、間髪入れず「この間も△△君はー」と別のエピソードを話したかと思うと「あ、そういえば以前の遠足でもー」と、次から次へと家の息子だけではなく、色々な園児のエピソードや成長を語り始め、先生自身の思いが溢れ出て止まらないモードになっていました。途中、自分で話し過ぎたことに気が付いて「あ、すいません」と恥ずかしそうにしていましたが、こんなに真剣に園児と向き合っている先生がいることに嬉しくなったと同時に、早口で園児への思いを語る様を思い出して、少しホッコリしていました。すべての幼稚園や保育園の先生がこんな先生ばかりだったら子供は幸せだなと感じたエピソードでした。

  • 息子が世話になった保育園の先生

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    私自身うっすらと保育園の頃の思い出があるんですが、もっと憶えてるのは息子の小さい頃の話です。
    ここでエレメンタリースクールなら神戸でもなにか今は成人した息子、保育園時代はとにかくイタズラ好きで、女の子をよく泣かしてたことを憶えています。
    特にある女の子を毎日のようにからかってはスカートをめくってよく先生に叱られてた。
    田舎でしたから親御さんは面識もあって、そんなことはわかってたみたいですが
    「まあ小さい子供のイタズラですから(笑)」と感じのいいご両親でした。
    その女の子はたぶんほんとに嫌がってたとは思いますが。。。

    メディカルゲートがおすすめするクリニックはどこにしばらくしてお父さんの転勤が決まって彼女は保育園を移ることになりました。
    それを知った息子のイタズラはさらにエスカレート、迎えに行った妻から先生が困ってたと聞かされました。
    まあ怪我させたりしたわけではないんですが、やっぱり相手方のことを考えると少しは注意しないとと息子に言い聞かせました。
    ちょっとしょんぼりしてましたかね。

    保育園最後の日、みんなでお別れを言って彼女の親御さんがお迎えに。
    息子は離れたところでその光景を無視したように遊んでました。
    先生が息子を呼び、半ば強引に連れてきました。
    そして女の子の前に立たせて
    「◯◯くん、なんか言いたいことあるでしょ?男の子だからちゃんと言いなさい。」
    しばらく黙り込んだ息子。
    何も言わずポケットから大事にしてたキーホルダーを彼女に差し出しました。
    「ありがとう」と言い彼女は少しはにかんだような気がしました。
    「うん」息子はその一言だけ。
    でも息子はずっと彼女のことが好きだったんですね。
    好きすぎて意地悪するしかできなかった。
    私も似たような経験があるなあとふと思いました。

    それを先生はずっと見てて知っていて、最後の最後に息子にワンチャンくれたんでしょう。
    「またね!」
    手を振りながら彼女は帰って行きました。
    なんだか大仕事をやってのけたような息子の姿、子供には子供の感情ってありますからね。
    それを気にしてくれてた先生に感謝です。
    その日の夕飯、珍しく息子はほとんど食事を口にしませんでした。
    息子にとっては彼女と会えなくなるのが相当ショックだったんだろうなあ。
    でも初恋の苦い経験、今思えばいい思い出じゃないですかね、息子にとっても。
    憶えてるかどうかはわかりませんが。


  • 幼稚園の先生に支えられた発表会

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    幼稚園の発表会を成功させようと、先生たちが頑張っていたのが印象に残っています。神戸もインターナショナルスクールと呼べるのはここが本番直前の「みんな覚えているから大丈夫、自信もってやってみて。」この言葉が心からの暖かさを感じて、とてもジーンと来ました。身と心がボロボロになるまで頑張ってもらっていて、発表会を必死の思いで成功へと導いてくださいました。新川崎でおすすめの消化器内科ならどうしてもここであまりにも頑張りすぎではなかと思いましたので、私達保護者は、「先生あまり無理をなさらないでくださいね。」って言った時に涙を出されて、本当に大変なんだなと思いました。発表会は、演劇に、演奏、新体操のようなものまで様々あって、汗だくになりながら指導するだけでなく、様々な事に注意してくださいましたので、神経も体力も大変消耗されたことでしょう。このホームページ制作の仕事は神戸もここでは演奏は一人一人がきちんとマスターできるように教えないといけないだけでなく、みんなの演奏速度も合わせないといけませんでした。演劇は、裏方として衣装チェンジなどを手伝い、舞台裏を走り回っていました。大人数の幼稚園児たちを少数の先生で面倒を見ることの大変さを、まじかで見ることで感じとる事が出来ました。兵庫県の神戸以内でインターナショナルスクールをもう問題が起こると大変ですから、相当なプレッシャーの中でお仕事をされているのですね。


  • 3人目にして初めて体験した幼稚園の中身

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    私は子供が4人います。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中にも3番目の子はダウン症で療育のある幼稚園が近くになく、健常の子達が通う幼稚園に行かせるしかなかったのです。あちこちの幼稚園に入園を拒否されました。ダメもとで最後に聞いた幼稚園でダウン症なのでみんなと一緒の事ができません。それでも大丈夫ですか?と、最初に話をしました。口コミで大和高田で保育士を採用するともどこに園長先生は「ん?みんなとかわらないでしょ。悪いことをしたら怒るし、できないことがあったらみんなで助けたらいい。いつから来れますか?」と、言ってもらえた時はすごく嬉しかったです。お話や、字を書く事が難しかったのですが、話題では奈良が保育園のことを考えるとどうも担任の先生がじっくり教えて下さって名前を上手に書くことができるようになり、お話も単語ですがすごく上手になりました。トイレは小学生までおむつは取れないよとダウンの先輩ママに言われてましたが、話題では奈良が保育園のことを考えるとどうも先生が幼稚園の間におむつ取りましょう!と、積極的にトイトレをして下さり、年中さんでおむつがとれました。もっと神戸方面のホームページ制作できるには今は小学4年生。お話も字を書くのもすごく上手にできています。卒園式の日に園長先生に「うちに預けて下さって、一緒に楽しい時間を過ごす事をさせてくれて本当にありがとうございました。」と言われ号泣しました。どうしても神戸のインターナショナルスクールなんか本当に良い幼稚園に出会うことができ、良い思い出になりました。今でも感謝しています。


  • 幼稚園で開花した創造性

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    我が子が幼い時の話です。娘の通っていた幼稚園では、畑で作物を植えて育てる農場体験がありました。エレメンタリースクールならこの神戸でもって春に種イモを植え、実りの秋を迎えると“芋掘り大会”という名の収穫イベントがあります。じゃがいもが育つまでは水をあげたり、様子を見に行ったりと子ども達は収穫できる日を心待ちにしていました。そして、ついにその日が!しかし、娘は体調を崩してしまい、残念ながら芋掘り大会に参加する事が出来ませんでした。その数日後、みんなで収穫した思い出を絵に書く事になり、参加出来なかった娘は想像で書くことになりました。「どうやって書けばいいの?」と先生に相談すると「こうしたらどう?」と具体的なアドバイスをもらい、絵は完成しました。その絵は、自分(娘)が真ん中に描かれており、岩のように大きなじゃがいもを畑いっぱいに収穫している絵でした。あたかもその日に収穫を体験したような、躍動感と生命力あふれる作品になりました。はじめは、胃カメラ検査で痛みが少ない姫路のおすすすめできるのは体験出来なかったのに書かせるなんて酷だなと思っていたのですが、芋掘り大会に行きたかった娘の想いを理解してくれ、それを絵に表現させてくれた先生の心に感謝の思いでいっぱいになりました。その後、その絵は系列の学校で開催された展示会の作品として選ばれ、16年経った今でも、我が家の宝物です!


  • テスト用紙先生からのお手紙

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    私が高校3年生の時の話である。当時の私の将来の夢は管理栄養士になること。神戸でもインターナショナルスクールといえることは授業が終わると放課後理科の先生が特別授業を行って下さっていました。今思うと本当に感謝しかないです。特に面白い先生ではないですが教え方がうまくこちらのやる気を引き出してくれる優しい先生でした。しかし勉強についていけず遊ぶようになりました。先生はそれでも叱ることなく優しく見守りタイミングを見てまた勉強を教えてくださいました。そんな先生が教育委員会へ転勤になることがきまり勉強は教えれなくなった。と言われました。勉強どうしよう。と思ったその時「代理の先生を用意したから。新大塚の歯医者は、どこも人気と評判のことにはその先生いい人だから。」と私の勉強のために代理の先生を用意してくださっていました。しかしどうしても初めに教えてくださっていた先生がよく新しい先生には冷たい態度ばかり取り無視をしてしまったり放課後も勉強部屋にもいかなくなりました。その先生の授業中も聞いていないふりをしてしまいました。今思うと思春期で反抗していたのだと思うが胸が苦しくなります。そんなこんなで卒業式が近づいてきこのままでは先生に申し訳ないなと胸を痛めていました。卒業前の理科のテスト。余白部分に「先生、せっかく教えてくださっていたのにごめんなさい。」と一言書きました。点数を付けられ戻ってきたテストをみると「こちらこそ教えてあげれなくてすみません」とありました。涙が出そうになりました。
    テスト用紙でのお手紙本来ならダメなことですが、この1回ずつのやりとりでわだかまりもなくなり卒業式後は面と向かって謝ることができました。


  • 幼稚園の先生からの可愛いお手紙で娘も安心

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    娘と幼稚園の先生のお話です。娘はとても甘えん坊で寂しがりやな性格です。この神戸でインターナショナルスクールとなるには学年が上がるたびに元担任だった先生が忘れられずしばらくクラスに馴染めないことがありました。年長になっても変わらず年中の時担任だった先生に会いに行ってしまいます。京都でニキビ治療ならおすすめの皮膚科といっては元担任の先生も今のクラスの子供たちがいるので娘にはあまり構ってということができず寂しい気持ちが募り幼稚園に行きたくないという日が増えてしまいました。現担任の先生に相談しましたが元担任と娘のことなのでなかなか解決できませんでした。ゴールデンウィークも間近の少し落ち着いた頃に娘が元担任の先生から手紙をもらったととても嬉しそうに帰ってきました。そんなにも話題の保育園が奈良ではとてもここへはその園では子供に手紙を書くのはあまりありません。暗黙の了解で禁止されているような感じでした。ですが娘のことを心配した元担任の先生が完全に禁止されている訳ではないのでということで書いてくれたのです。その手紙には娘のことが大好きということまたたくさん遊びたい今の担任の先生もとても優しいから安心して大丈夫だということが書いてありました。奈良であの大和高田で保育士を採用しようと思っても娘と先生が楽しく遊んでいるようなイラストも書いてありました。その手紙を読んで先生は自分のことが嫌いになったわけじゃないということが分かりだんだん今のクラスにも慣れて無事に卒園しました。元担任の先生も現担任の先生のことも大好きです。どうしても神戸ならインターナショナルスクールには親以外にはじめて信頼できた先生に受け入れてもらえた経験が今の娘にとても良い影響を与えているなと思いました。


  • 娘が発表かいに出れた理由は保育園の先生の引き寄せ!

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    娘が発表会に出れた理由は保育園の先生の引き寄せ!
    長女はA保育園の4歳クラスに所属しています。所属していると書かざる得ないのは現在通っていないからです。長女が1歳になる前にA保育園に預けて働きはじめ、当時は慣れない育児と仕事の両立で、ジェットコースターのような毎日でした。現在は第2子の育児休業中で長女はA保育園に通うことは出来るたのですが、コロナ禍で次女を連れての毎日の送り迎えするのが怖くて半年以上お休みしていました。旦那が休みの時など一人で行ける時を見計らって保育園に定期的に手紙を取りに行くのですが、毎回小学校の時に長い髪をショートにして始めて登校しなきゃならない時のような気持ちで、保育園に行くことがどんどん苦痛になっていました。ある土曜日に行くと娘を0歳クラスで担任してくれていてその年に退職した“ようこ先生”と入口で会いました。「先生また来られてるんですか?」。「急に病欠が出て一か月だけお手伝いに来てるんですよ。お母さん元気そうですね。出産おめでとうございます。琴ちゃんは元気ですか?4歳ですよね。お姉ちゃんになったんですね。」そのまま暫く立ち話をしました。すごく心が癒され明るい気持ちになりました。「来月簡単な発表会があるから出来たら何回か練習に来て出ませんか」と今の担任の先生に言われていて正直言って面倒な気持ちが強くて長女には言っていませんでした。でもようこ先生と話て長女が可哀そうに思えて来ました。「保育園に行くのももう2年もないんだ」と改めて思いました。翌週から頑張って起きて、発表会まで長女を午前中だけ保育園に通わせました。長女はすごく楽しいようで「ようこ先生と鬼ごっこをした」とか保育園での出来事を嬉しそうに毎日話てくれました。寒くなってきて感染者も増えているのでまた長女は休ませていますが発表会で成長した長女の姿を見ることが出来て本当に良かったです。ようこ先生に再開できて本当に良かった感謝しています。

  • 親だけでなく母親のメンタルケアもしてくれた保育園の先生に感謝!

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    息子が1歳になったのを機に仕事に復帰しました。繁忙期と閑散期の差が激しい職場で、私が復帰したころはちょうど繁忙期の山の頂上から後処理をしている時期でした。息子は幸いにも病気になることは少なく、急な呼び出しの電話などは私が覚悟していたほどはありませんでしたが、夜泣きがひどく、保育園に預けてからはさらに夜眠れないことが増えてしまいました。夫も家に帰ってから3時間ぐらい息子を連れて3時間ぐらいドライブに連れて行ってくれたりと協力はしてくれたのですが、仕事で閑散期に入ったぐらいで疲労がたたって出勤してすぐにめまいを感じ、その日は有給を取得することになりました。保育園に仕事が休みになったので迎えに行く旨を電話して迎えに行くと、保育園の先生が「顔色が悪いけど大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。職場で体調が悪くなって休みにしたことを伝えると、先生は「じゃあ、連れて帰ったら大変じゃないですか!」といつもの時間まで預かってくれると言ってくれました。いつも送っていくと泣いていたので預けていて大丈夫か不安だったのですが、先生が察して保育室のドアから子供の様子をこっそりのぞかせてくれました。朝はあんなに泣いていたのに、保育園の先生の手作りのおもちゃで楽しそうに遊んでいました。そして、「子供だけじゃなくて本人も困ったことがあったら是非相談してくださいね!」と念を押されました。その日はがっつり眠ることができ、本当に助かりました。また、いざとなったら頼りになる保育園の先生がいるというのが心強く、スムーズに仕事復帰することができました。

  • 写真と共に鮮明に蘇る、幼稚園の思い出

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    幼稚園を卒業したのはもう何十年も昔になってしまいました。しかし当時の園のこと、先生方、お友達のことは覚えています。今の時代なかなかやらないであろうことを、当時はすんなりとやっていたという、その思い出の1つとして、お芋ほりがあります。幼稚園のみんなで2人一組で男女手をつなぎ、園から離れた畑まで徒歩で行ったこと。大きな広い畑でさつまいもを掘ったという出来事ですが、普段、野菜嫌いな自分ですら、お芋が畑の土からできていることを5歳くらいから知っています。園のみんなでお芋を掘って、泥だらけになった様子にサツマイモを持ち、先生と楽しそうな笑顔で撮った1枚の写真があります。先生は上野先生という、髪の長い美人な若い先生でした。先生との楽しい思い出はそれだけではありません。歌や音楽会の練習も楽しかった記憶があります。不思議なことに今でも、幼稚園の時に習った歌を覚えています。年に1度の音楽会では「アメリカン・パトロール」を合奏。その練習で私はピアノを習っていたので鍵盤ハーモニカを担当し、すんなり弾けた記憶があります。先生はその他、太鼓や木琴、トライアングル、タンバリンなど、子どもたちそれぞれに忍耐強くおしえてくれ、無事に発表会では止まることなく完成できました。よくあんなに小さい子供たち、しかも、楽譜の読めない子たちに怒らずに優しくおしえてあげられるもんだなと、子育てをしている今だからこそ、感心してしまいます。今でも幼稚園の写真と共に、楽しい思い出たちが鮮明によみがえります。