これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

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  • ピアノが得意な幼稚園の先生に弾き方を教わった時が幸せだった

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    幼稚園の先生はピアノが得意でした。いつもお昼の時間には生徒に毎回一曲を弾いて聞かせてくれます。そのうまいことといったら、子供の心を奪い、離さない上手さでした。プロのピアノ演奏者ではないかと思うほどの上手さに、ご飯を食べている生徒も思わず聞き入ってしまいます。かなり高度なピアノ演奏を生で、それも無料で聴ける喜びは本当に嬉しいものでした。まったくピアノに興味などなかった私でしたが、どうも弾きたくなってしまいました。そこで、幼稚園の先生に「弾き方を教えて」とお願いしたところ、「いいわよ」と快く承諾してくれます。一緒に椅子に座らせてくれる先生は、後ろから丁寧に、私に「こうやって鍵盤を叩くのよ」と丁寧に指導してくれます。自分で弾いた音を耳にすると、本当に幸せな気持ちになりました。なんて楽器を弾くことがこんなにも楽しいのか、幸せなのかと。それから、私はピアノ前に座り、鍵盤を弾くことが増えました。鍵盤を弾くたびにどう弾くかを覚えることができます。その喜びも嬉しく、どんどん音を覚えてみようとの気持ちになります。家に帰った後はハーモニカを吹いて、自分なりに練習をしました。こんなにも楽器にのめりこむことも初めてです。自分には、このような才能があったのかと思うと、本当に嬉しくて仕方がありません。私は、それから親に頼み、「ピアノが習いたい」とお願いしました。親もお金はかかりますが、ピアノ教室へと通わせてくれたのです。まるで、人生に花が咲いたように、本当に楽しい気持ちになりました。幼稚園では先生と一緒にハーモニカーを吹いて演奏会をするのも楽しいものです。先生も「よく頑張ってるね」と褒めてくれるところに、私はとても感動してしまいました。それからピアノが私の人生のステイタスといっても過言ではないほど、なくてはならないものとなりました。

  • 幼稚園の先生に魔法の消毒液を塗ってもらいました

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    私が幼稚園の頃の話です。当時のお世話になった保育士の先生のことはよく覚えています。まだ二十代半ばと若く、新人の先生だったのですが、とても明るくユーモアセンスのある方で園児に慕われていました。私も例外に漏れず、先生にとても懐いていました。ある日、友達とかけっこ中に転んで膝を擦り剝いた私は先生に手当てをしてもらいました。膝が痛くて泣き止まないでいると、先生は「いたいのとんでけ」をしてくれました。それでもまだ泣いていたのは、「消毒液はとてもしみるぞ」と、男の子に脅かされたからです。すると先生は「ちょっと待ってて」と消毒液を持って行ってしまいました。しばらくして戻ってくると、消毒液のラベルには折り紙を切り抜いた星が貼られていました。「これは魔法の消毒液なの、塗ると夜にいい夢が見れるんだよ」「本当?」私は先生の言葉を信じ、しみるのを我慢しました。まわりの子たちも興味を覚えたのか、僕も私もと怪我をしてないのに並んで、それぞれ肘だの額だの好きな箇所に塗ってもらっていました。皆が先生を中心にワイワイしているので、私は膝の痛みも忘れて笑顔になりました。とても楽しい思い出です。その日見た夢は忘れてしまいましたが、しみるのを嫌がるうちの子供にも、折り紙の星を貼り付けた魔法の消毒液は特効薬になってくれています。

  • 小さい私に生き方を教えてくれた幼稚園の先生

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    私は友達の多い幼稚園児でした。私の周りには友達が集まり、いつも楽しそうでした。しかし、ある時、なにがきっかけかはわかりませんし、覚えていませんが、友達がいなくなりました。そんな寂しい幼稚園時代が私にあったのです。それを打開してくれたのが、幼稚園の先生でした。幼稚園の先生は私が寂しそうにしているのをみて、ずっとみていてくれました。私と幼稚園の先生のコミュニケーションはそこから始まりました。私は幼稚園の先生に助けられました。具体的に私のここが悪いとかを言ってくれるわけではありません。それでも私は小さい子供が学べないようなことを学べたと思っています。私が幼稚園の先生に教えられたことは、一つです。「孤立してもいい、自分らしく生きて」です。こんなことは、普通なら小学校や中学校で覚えることです。それを私は幼稚園の時に幼稚園の先生に教えられました。貴重な体験だったと思いますし、幼稚園の先生はさすがだなと思います。以後、私は小学校、中学校と友達に恵まれ、豊かな学生生活を送ることができました。自分らしく生きるということは、自分の意見を言うということではありません。あえて、自分の意見を言わなくても、芯のある心があることなのです。そのことを小さい私に教えてくれた幼稚園の先生に感謝します。

  • 頑張って牛乳を飲むとかわいい花束をプレゼントしてくれた

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    幼稚園の先生は真面目で曲がったことが嫌いな人です。いつもは優しいのに、最後までやらないとかなり本気で怒る先生でした。そんな先生を怒らせまいと、私は必死に頑張ったものです。ただ、冬になると、部屋のストーブで必ず牛乳を温めるのですが、生徒が冷たい牛乳ではかわいそうだと思うから温めてくれるのだと思います。でも、私は温めた牛乳が苦手でした。中途半端に温めた牛乳は生ぬるく、牛乳の生臭さをとても感じてしまうのです。なまぬるい牛乳は飲めないと伝えればいいのですが、せっかくのご好意を無駄にするのは悪いと思い、どうしても温めないでとは言えません。気づけば、もうストーブの上に置いてある鍋の中に牛乳が入っていました。真面目な先生は、「全て飲むまで遊べません」と言って、昼休みにも私を教室に1人だけ残して、外へ生徒と共に遊びに行ってしまいます。毎日牛乳を温めるので、毎日居残りです。もう虚しさと絶望感で先生のことが嫌いになってしまいそうになりました。そんなある日。私が全て飲めた時「よく頑張ったわね。これもあなたのためなのよ」と頭を撫でてくれたのです。それに、私の誕生日ということを覚えていてくれて、「今日は特別にいつも頑張って牛乳を飲んでいるあなたに」とかわいい花束をプレゼントしてくれました。他の生徒には内緒ねということ。やっぱり先生は優しくて、素敵な人だと思いました。それ以来、牛乳を残さずに飲めるようになりました。

  • どんな時でも平等でいてくれる先生

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    次男が保育園に通っているときの出来事です。次男が通っている保育園は、平日は15時以降が混合保育となり、年少クラスから年長クラスまで一緒に活動します。その頃はひとつ上の女の子と遊ぶことが多く、女の子たちに囲まれて遊んでいることが多くありました。ある日、よく遊ぶ女の子の1人に嫌な言葉を言ったことがあったそうです。子供同士ではよくあることだと思うのですが、たまたまその子のお母さんがお迎えに来て、その現場を見ていたそうです。女の子は泣いてしまい、事に気が付いた先生が次男とお話をしてその件は解決しました。次の日、次男をお迎えに行くと昨日泣かせてしまった女の子のお母さんが先生となにやら話しているのを見かけました。前日の件があったので、なんとなく顔を合わせるのが気まずくなり、急いで次男をクラスにお迎えに行きました。さっと帰ろうと思いましたが、先生に声をかけられ今日の出来事を伝えられました。女の子曰く、今日ホールで遊んでいる時に私の顔を蹴ってきた、と。私の頭の中はパニックです。昨日は悪口を言い、今日は顔を蹴ったのか、と。前日の件でも、自分がされて嫌なことは人にしてはいけないよ。と次男と話をしたところだったので、伝わっていなかったのか、あんなに話をしたのに。などと次男を責める考えしか浮かびませんでした。次男に、蹴ったのかと確認しましたが本人は蹴っていないと言います。ですが、前日の件もあったので強く出る事もできず、私自身が見ていたわけではないので蹴っていないと言う事もできずにいました。親として情けないのですが、正直、きっと蹴ったんだろうと思っている自分がいました。そんなやりとりをしている間に先生がホールにいた別の先生に事実確認を取ってくれており、別の子と踊って遊んでいる時にたまたま近くで遊んでいたその女の子に足が当たってしまった、ということだったそうです。私はホッとしました、それと同時に次男を信じて守ってあげられなかった自分への怒りと虚しさが込み上げてきました。親である私でさえ疑ってしまった出来事を、その先生はしっかりと平等な立場で対応してくれました。私だったら、きっとその女の子の言う事を信用していただろうなと。その先生が次男のことを日々しっかり見て理解してくれていることを改めて実感し、感謝と共にとても嬉しく感じた出来事でした。

  • 幼稚園の先生に感謝している理由は・・・

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    娘は幼稚園児だった頃とても自由人でした。子供だから自由に振る舞うのは珍しくないと思うかもしれませんが子供であるから自由で当たり前という感じではなかったんですね。幼稚園の年少の時に、はじめて娘が他の子供と比べて自由すぎることに気づきました。それまで集団生活の場は経験していなかったからです。幼稚園には喜んで行っていました。バスが迎えに来てくれると喜んで乗り込みいつまでも手を振ってくれて、帰りのバスでも機嫌良さそうに降りてきてさぞ園での生活が楽しいのだと思っていたのです。しかし、自分のやりたいことを最優先して担任をはじめ友達の話をまともに聞かず、給食も落ち着いて食べられないのでほとんど残したり、そうかと思うとぺろっと平らげてみたり。気分のむらが大きく人の話をじっと聞くことが出来なくて、参観日はわたしから離れなかったり常に後ろに立つわたしを見て担任の話も聞かず。そんな手のかかる娘を根気強く見守ってくれたのが担任でした。ベテランだったのでいろんな子供に対応してきたのでしょう・・・叱りもせずかといって甘えさせず上手に娘と付き合い娘のペースを理解し連絡帳でのやりとりもマメに行ってくれました。あのとき叱られたり注意ばかりされていたら今の明るい娘はいなかったのかもしれません。とても有り難く嬉しい体験でした。

  • 0歳児の先生に助けられました。

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    息子は0歳児で保育園に入ることになりました。育休を最大に使いたかったのですが、保育園の待機が多い地域だったので、早くに行くことにしました。そのことに対して、周りの人は「かわいそう」「そんなに早く入れなくてもいいんじゃない」「自分で見られないの?」など心無い言葉に傷つきました。0歳児ですが、空きがない状況、早くに入れないと働きに行けない、そんなことがあり、数か月の息子を毎日預けに行きました。入園してからすぐに、熱を出し、仕事を早退してを繰り返し、有休もなくなり、減給となりました。いったい私は何のために働いているのだろうと涙があふれることがしばしばあり心も体もぼろぼろになりながら、毎日を過ごしていました。いつもの様に保育園へお迎えに行くと、「今日、泣かずに遊べるようになりました、じっくりと見守ってくださったからですね、お母さん、本当に頑張っていますよ」とのこと。毎日、子どもは頑張っているのだから、私も頑張らないといけないと思いました。私の仕事先では、子供を持っている人はおらず、すぐに早退することに対し、煙たがられることが多く、時短も周りの負担になっていることを聞き、自信を無くしかけていていました。しかし、これでいいのだという気持ちになったのは、先生のおかげです。私も、子どもも助けられたと思います。

  • 保育園の先生が私にだけくれたプレゼント

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    私が幼い時は母が働いていたので、保育園でした。
    当時の母はおそらく他のお母さんたちより仕事が忙しく、保育園でお迎えに来るのがいつも一番最後でした。
    だいたい18時過ぎにお迎えに来ていました。
    待ってる間他に園児の子がいる場合は一緒に遊んでいますが、ほとんどが17時前にいなくなってしまいそこからは絵本やおもちゃ保育園の先生が遊び相手でした。
    こんな状態が毎日続いていて私の心境を悟ったのか、当時30代くらいの保育園の先生が毎日私だけにプレゼントをくれました。
    それはお菓子だったり手作りのおもちゃだったり様々です。
    私も密かに毎日寂しく劣等感があったため、一人で残されている私だけが先生からプレゼントをもらえるというのは本当に嬉しかったです。
    そのことは迎えに来る母も気がつき、プレゼントをくれる先生に対していつも丁寧にお礼を言っていました。
    私が保育園で一人だけ残っているのは卒園するまで続きましたが、それと同時に先生のプレゼントも続きました。
    時には違う先生からもプレゼントをもらったため、おそらくですが保育園の先生同士が話し合って決めていたのだと思います。
    今思い出すと保育園の先生たちの温かい心使いに本当に感動する出来事です。
    残されていたことより先生からのプレゼントの思い出のほうがよく覚えています。

  • 私が通っていた保育園であったうれしい出来事

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    私が幼稚園の先生の体験でうれしかったことを紹介します。私は引っ越しをしてきた子でした。年中さんの途中から入ってきたので、クラスの子となじめないでいました。一人で遊んでいたりしてすごく寂しい思い出があるのですが、そこで幼稚園の先生がフォローしてくれてすごくうれしかった経験があります。先生がフォローしてくれて、なんとか保育園へ行くことができましたし、一緒にみんなで仲良く遊べるようにフォローしてくれました。そのおかげで保育園へ通ってから半年後には友達がたくさん出来て、みんなで遊べるようになりました。小さい頃は人見知りで引っ込み思案だった私だったのですが、それ以来、自分から勇気を出して、友達と話せるようになりました。あのとき先生がフォローしてくれなかったら、もしかしたら保育園へ行かなくなってしまったかもしれません。上手く友達作りが出来なかったかもしれません。あのときがあったから、今私は人間関係をスムーズに出来たのだと思います。保育園の先生でも色々な人がいますが、私が通っていた先生はとても素敵な人だったので通ってよかったです。今でもその先生の顔はなんとなく覚えています。またいつか会えたら良いなと思っています。

  • 黙って見守る優しさを知りました

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    随分前のことです。その頃の私は引っ込み思案で、幼稚園等には行かないでできればずっと家にいたいと毎日思っていました。それでも容赦なく入園する運びとなり、住んでいた社宅の目の前に来る幼稚園の送迎バスに乗って毎日通わなくてはならなくなりました。そんな愚図る私をバス停まで連れて行き、時には押し込むようにバスに乗せていた母も大変だったろうなと思います。が、間違いなくもっと大変だったのは担任の先生です。私は大袈裟でなく1日1回、園で泣いていました。きっかけはどれも本当に些細な事でした。例えばお弁当の時間に、隣の子が私のお弁当を見て、「〇〇(私)ちゃん、昨日もサンドイッチだったよね」と言いました。その途端もうこの世の終わりかという絶望感に襲われ、目からザーっと涙が流れてきて俯いてしまうという具合です。するとその隣の子が「先生ー、○○ちゃんがまた泣いちゃいましたー」と大きな声で言い 、先生が私の方にやってくるという日々を毎日繰り返していました。そして何十年も経った今でも覚えているのは、先生が私の前にしゃがみ、優しい顔で私のことを見上げて見てくれている姿です。かけてくれていたであろう言葉は忘れてしまいました。でも嫌な顔をされたり 、怒られたことはありませんでした。毎日しょうもない理由で泣いていた私の話を聞いてはがっかりしていた母の顔もそれと対照的だったからか、ぼんやりと覚えています。あんなに泣いていながらも、一応毎日幼稚園に通うことができたのは、あの担任の先生の並々ならぬ忍耐力と優しさだったのは間違いありません。先生、ご面倒おかけしました。ありがとうございました。