これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

保育園
  • 苦手だった生活習慣も改善!保育園の先生に感謝

    保育園

    保育園に通園していた当時を振り返って見ると、エレメンタリースクールなら神戸でもここからは本当にお世話になった先生に対する感謝の思いがわき出てきます。今となっては、思い出話として笑い飛ばすことができますが、当時の両親や先生の心労を考えると、申し訳ない気持ちで一杯です。私は、クラスでも活発な女の子として知られていました。どんなにも人気の奈良でも大和高田で保育園からして友達の女の子が男子にいじめられたりしていると、男子に堂々と立ち向かうような女の子だったのです。砂場遊びやおいかけっこなどをする時も積極的に、リーダーシップを取るような児童だったようです。しかしながら、一方で甘やかされて育ったせいか、生きて行くために基本的なことが苦手な一面も持ち合わせていました。具体的には、オムツを外すことがなかなかできなかったのです。その保育園が奈良では話題になっているといえば私が通っていた保育園では、2歳になると便器に座るトレーニングをスタート。そして自分で排尿することを覚えさせるというやり方です。しかし、胃カメラ検査ならこの明石のクリニックでは私はどうしても便器に座ることに抵抗があったのでしょうか。いつまで経っても、オムツのお世話になる状況が続いていました。先生はそんな私に対して、焦ることなくじっくりと向き合ってくれました。こんなに神戸でインターナショナルスクールがあるといえば「私だったらあんなに優しくできないな」とつくづく思います。


  • 子供の才能を伸ばしてくれる先生に感動した話です。

    保育園

    うちの子供は絵を描くのが大好きで、幼稚園から帰ってきてもずっと絵を一生懸命書いているような子です。ある日、奈良で大和高田でも保育士の求人を求められる幼稚園の玄関に大きな絵が飾ってあり、いろんな子がたくさんの絵を描いているかんじでした。真ん中に大きなカブトムシの絵があり、迫力あるなぁ~とおもっていたら、なんとうちの子が描いたと先生が言ってくれたんです。「〇〇君はとっても絵が上手ですよね~。今回クラスみんなで絵を描いたんですが、〇〇君の絵を中心に広げてみました!カブトムシがとっても迫力あって私も感動しているんですよ!これはすごい才能ですよ!いっぱい褒めてあげてくださいね!」って担任の先生に言われました。結構、控えめな子で目立つということが無い子供で心配しているところがあったのですが、このようにして子供の良いところを惹きだしてくれる先生に出会えて本当に感動しました。すぐに写真に撮ってばあば、じいじに見せたら両親もとっても喜んでくれました。飾り終わったあとに絵をもらえないか??と言ったら、「もちろんですよ~」と絵をくれました。あの口コミから奈良で保育園が探せるとはいえば宝物にしようとおもっています。それぐらい私は感動しましたし、とても先生に感謝しています。とてもいい先生に出会うことができました。


  • 先生と読書を楽しんだ幼稚園時代

    保育園

    私は本が大好きな子供でした。帰りのお迎えを待つ間本を読むことが多かったのですが、幼稚園にある絵本はすべて読破してしまっていました。そのことを先生に相談すると、先生は「先生の子どもが昔読んでいた本があるからそれを持ってきてあげよう」と言い、毎日一冊ずつ私に自宅の本を貸してくれるようになりました。先生が持ってきてくれる本は、幼稚園にある絵本とは違い小学生が読むようなちょっぴり当時の自分には大人向けの本でした。ファンタジーや怪談など、未知のジャンルの本に私は夢中になりました。わからない言葉や漢字があると、先生はいつも隣で丁寧に教えてくれて、私は本を読むのがますます大好きになりました。そのうち他の園児たちも先生が持ってきてくれた本に興味を示すようになり、先生が読み聞かせをしてくれるようになりました。読み聞かせタイムになるといつも多くの園児が円になって先生を取り囲み、先生もキャラクターごとに声色を変えて私たちがストーリーに没頭できるよう面白おかしく本を読んでくれました。自分だけに本を貸してくれていた先生がみんなのものになってしまって、うれしいようなさみしいような気持になったのを覚えています。幼稚園時代の、あたたかい思い出の一コマです。

  • 運動会の準備を先生とともに

    保育園

    幼稚園の運動会といえば、席とりのために早朝、いや、深夜から並ぶことも厭わない時代のこと。わたしも雨予報の中、深夜から並んだものです。あいにくの雨の中。なんとか早朝には雨は上がったもののさすがにグラウンドはぐちゃぐちゃの状態。そんな時、朝6時過ぎでしょうか。幼稚園の先生から、お父様、お母様、なんとか子供たちにきれいなグラウンドで運動会をさせてやりたいので整備をいっしょにお手伝いくださいというアナウンスがありました。もちろん、すでに三十人近い列をなしていましたか、だれもその提案に反対しようはずもありません。巨大なスポンジや新聞紙、土などをフル活用しながら、みんなでグラウンド整備にあたりました。普段からなかなか幼稚園の先生とわたしはダイレクトに触れ合うこともありませんのでなかなか楽しい時間。なによりも先生方といっしょになってこどもたのために頑張る姿がみんな、本当に楽しみみたいでした。実際には2時間くらいかかったでしょうか。無事に雨があがったあとは乾きやすくもあり、みんなの努力でグラウンドはみるみるうちにきれいになり、子供たちが安心して運動できる環境になりました。なかなか経験できないすばらしい機会になったと思い出に残っています。

  • 【感動】最後まで諦めなかった幼稚園の先生

    保育園

    今でも私と息子の間で心に残る先生がいます。それは息子が、入園した時のクラス担任の先生です。当時息子は5歳。初めての幼稚園でドキドキでしたが入園して少しずつ幼稚園の先生やお友だちには慣れてきていました。しかし遊具遊びや外での運動が苦手だったのです。そんな息子が入園して半年経った10月の頃。幼稚園の運動会がありました。親の私は「きちんと走れるかな?ダンスはうまく踊れるかな?」ととても不安でした。当然先生にも相談しました。先生は「お母さん。大丈夫ですよ。」と笑顔で答えてくれましたが、息子の苦手な気持ちを知っていただけに不安で不安で仕方ありませんでした。そして運動会当日。息子の出る種目はリレーとダンス。緊張の中見守りながら応援していると、いつも運動を嫌がっていた息子がイキイキとした表情で踊ったり走ったりしていました。感動して嬉しくて、私はホッとしたのを覚えています。無事運動会が終わって息子と話していると「先生が毎日、何回もボクだけにダンスを教えてくれたんだよ。お母さんを笑顔にする作戦!大成功!」と言ってきて言葉が出てきませんでした。後日先生に尋ねると「お母さんがあまりにも不安そうだったので。息子さんと一緒にお母さんを笑顔にする作戦と言って内緒で特訓していました。息子さんだけではなく、子どもは無限の可能性があるんです。親が不安になると、子どもも不安になる。だからどうしても笑顔にしたくて…。すみません。」と謝られて、私自身、猛反省しました。子どもには無限の可能性がある。息子が壁にぶつかった時、凹んだ時に今でも幼稚園の先生のエピソードを出して勇気をもらい続けています。

  • 雷が怖くなくなった日

    保育園

    私は、小さいときから雷が怖くて、いつも机の下やベッドの中に逃げていました。幼稚園で雷が鳴ったときも、あまりの怖さに机の下に入ったら、近くにいた男の子に、泣き虫と言われて笑われたんです。
    そうしたら、他の子も口々に弱虫と私のことをからかいだして、とうとう私は泣いてしまいました。すると、先生がいきなり大きな声で叫んで机の下に隠れたんです。他の子がキョトンとするなか、先生はブルブルと震えて、「先生も雷が怖いの」と言いました。すると、他の園児達の中からも、私も怖い、僕も怖いと言い出したんです。雷が怖いのは私だけじゃないんだという安心感からいつしか私は泣き止んでいました。
    「雷がやむまで皆で遊びましょう」
    そういって先生は部屋の中でできる遊びを教えてくれました。
    そして、いつのまにか私は雷が鳴ってもそんなに怖くなくなりました。
    大きくなって、後から考えたら、先生が雷が怖いって騒ぐはずないんですよね。つまり、あれはからかわれている私のための演技だったんです。
    今でも雷が鳴るとその時のことを思い出します。
    もちろん、今ではもう雷が怖くはありませんが、あのときの先生の優しさは、大きくなっても忘れたことはありません。

  • 幼稚園の先生の優しさ

    保育園

    幼稚園の先生のことは今でも良く覚えています。若い女性の先生でしたが、いつも明るくてニコニコしてる優しい先生でした。ある日、私が幼稚園で友達と喧嘩をしたことがありました。てっきり怒られるのかなと思っていましたが、先生は怒ることはありませんでした。喧嘩の内容は何だったか覚えていません。ただ、幼稚園の時にはすでに、私には好きな子と嫌いな子がいました。嫌いな子はどこか調子に乗っていて、人をジャッジして悪口を言ったりするようないじわるな子。どこに行っても一定数いるこのタイプが昔から嫌いで、今でも嫌いなので、きっと何かムカっ腹たつことがあったのだと思いますが、その時の先生はやんわりとその子とは離してくれてなだめるような対応でした。今思うとたいした喧嘩でもないので、怒るまでもないのだとは思います。その幼稚園の先生は、なるべくみんな平等に接してくれる先生で誰かをえこひいきしたり、目立つ子にばかり目を向けるというのは親でも先生でも良くあることですが、その先生はジャッジをしないという姿勢があったところが、あの優しさの正体なのかと思います。笑顔で話しかけてくれたり、大好きという言葉をかけてくれる愛に溢れた先生でした。幼稚園の先生みんながそうだったかというと違ったので、その先生だけ特別柔らかく、優しい雰囲気のある先生だったと思います。

  • 幼稚園の先生に感謝の言葉を送ります

    保育園

    子どもが幼稚園に通っている時、私たち夫婦は共働きでした。どんなバイリンガルスクールが神戸の中にもどっと主人も残業が多く、私も時間が不安定な仕事をしていました。幼稚園のバスは、保護者がその場所に迎えに来られないと乗せてもらえなかったのです。週に何回かは迎えに行けず、子どもを幼稚園に置いたままにして、車で迎えに行くこともしばしばでした。子どもが、幼稚園の明かりの中で、一人で待っているかと思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてきて、人気の奈良でも、この保育園はどこでも少しにはいつの間にか泣きながら運転している事もありました。子どもが、お友達と乗りはずだったバスに乗れず、お腹を空かせて一人でポツンと待っているかと思うとやるせない気持ちで一杯でした。私がようやく幼稚園に着くと先生が「もう少し早く迎えに来てくださいね」といつもおっしゃいました。申し訳ない気持ちで帰宅のとに着くと、子どもが今日の出来事を話してくれて安心しました。「ごめんね」というと、子どもが「大丈夫、先生のうちの子も、幼稚園に待ってるんだって。私だけじゃないんだね」と言うのです。私は、ハッとしました。根管治療が専門の岡山の歯科医院は少しも探せずとあんなにぶっきらぼうに言われていたのに、先生は手の空いている先生に任せず、私と同じ事をして子どもの事を見ていてくれた事に、初めて気がついたのです。私は、自分の事しか考えていませんでした。どこの奈良でも評判の大和高田の保育園ではとても子どもの先生は自分の子どもではない、うちの子と一緒に待っていてくれたのです。本当に感謝の言葉しか見つかりませんでした。


  • 引っ越し前に最後まで気にかけてくれる幼稚園の先生

    保育園

    私は、小学生1年生の時に引っ越しをすることになりました。生まれてからずっと同じ場所に住んでいて、違う県への引っ越しなので、引っ越し前に良く遊んでいた人たちとはなかなか会えなくなります。幼稚園は、地元の幼稚園に行っていたために、友達も多く、先生も優しい人ばかりで、卒業をしてもたまに食事にいくことがありました。そして、私が小学生1年生になって親の都合での引っ越しが決まり、それを交流の続いていた幼稚園の先生に伝えました。先生は、残念だと言ってくれて、引っ越し前にみんなで食事に行こうと声をかけてくれました。幼稚園は卒園をしていて、小学生になっても、園児の事や親の事を考えてくれていて、覚えていてくれるのはとてもありがたかったです。

    幼稚園の先生と、私と、親とで食事に行き、幼稚園での出来事や、思出話をするのが楽しかったです。

    幼稚園の時期というのは、子どもがまだまだ社会ルールも分からず、教室でも静かにすべき時に騒いだり、動き回ったり、幼稚園の先生は本当に大変だと思います。

    たくさん園児がいて、そこで一人一人を見ていくのは大変なのに、それぞれの子どもをしっかり見てくれて、暖かい態度で接してくれることに感謝の気持ちでいっぱいです。

    卒園しても覚えていてくれて、大事に考えてくれたことがとても嬉しかったです。

  • 氷の女王の劇でパジャマor真っ赤なチュチュの究極の選択から私を救ってくれた幼稚園の先生

    保育園

    幼稚園の年長の時、お楽しみ会でクラスごとに劇をすることになり、私のクラスは『氷の女王』をやることになりました。私は雪役で、舞台上の役者が登場したり退場するタイミングで「〇〇が来たぞ」と叫びながら舞台を走り回って去るだけの簡単な役でした。劇の衣装は幼稚園が指示した条件を満たすものを各家庭で容易することになっていたのですが、メインの登場人物の衣装はかなり気合が入っていたのに対し、雪役は全身白っぽい服、という指示しかなかったそうです。母は同居していた祖母の介護をしていたこともあり、手の込んだ衣装を用意する余裕がなかったそうです。幼稚園の劇なので衣装合わせなどなく、劇本番の当日に初めて衣装を持っていく仕様でした。母が用意した衣装は、なんとキャラクターものの柄が描いてある白いパジャマを裏返したものでした。要するにただのパジャマです。生地が薄いので裏返しても絵柄がうっすらと透けていました。下半身は白いタイツという指示だったのでズボンすらなく、子ども心にも「これはないんじゃ・・」とショックを受ける代物でした。泣いて拒否しましたが他に白い服もなく、パジャマを持って幼稚園へ行きました。私以外の雪役は2人いたのですが、1人はとても可愛いフリフリの白いワンピースで、もう1人はなぜか濃い水色のワンピースでした。園の指示とは違う色でしたが、注目の的だったのは私の裏返したパジャマにタイツという奇妙すぎるスタイルでした。周りの子ども達から鬼のような突っ込みを受け、水色ワンピの子にまでバカにされ、また泣きました。自分でも裏返したパジャマよりは水色ワンピの方がマシだと思いました。すると、隣のクラスの先生が騒ぎに気づき、担任の先生を含めて数人の先生達がワラワラと私の周りに集まってきました。大人同士小声で深刻そうに、これはないね等言っているのが分かりました。そして、「ちょっと待ってて」と言われ、真っ白で素敵なバレエ用のチュチュを持ってきてくれました。幼稚園の備品だと思います。バレエのチュチュは当時クラスの女子の憧れで、私も思わぬ救い以上の待遇に歓喜したのを覚えています。「ずるい、ずるい」と他の子が連呼する中、私と水色ワンピの子の2人はチュチュに着替えることになりました。ところが、その白いチュチュはサイズが小さく背中のボタンが止まらなくて、結果的に2人とも着ることができませんでした。すると、年配のちょっと怖い先生が、まさかの真っ赤なチュチュを持ってきました。その赤いチュチュはサイズが大きく着ることができましたが、雪役に赤なんてありえないということくらい、幼稚園児の私でも分かりました。水色ワンピの子は赤を着るくらいならこのままでいいと言い、先生も「仕方ないね」と了承していましたが、パジャマの私には真っ赤なチュチュを着るよう強く迫ってきました。氷の女王の舞台で一人だけ真っ赤なチュチュを着るなんて絶対に嫌でしたが、パジャマも嫌でした。どっちがマシなのか分からず、真っ赤なチュチュを着て棒立ちになってしまいました。すると、いつの間にかいなくなっていた担任の先生が、「これなら白いチュチュ着れるかな?」と言いながら走ってきました。手には白いチュチュと、絵本の棚の上に敷いてあったレースの敷物を持っており、チュチュの裏側からボタンがとまらなかった背中の部分にレースの敷物をガムテープで止めて着せてくれました。若干不自然で着心地も良くはありませんでしたが、正面から見る分には全然わからないし、白いチュチュで劇で出られる喜びと安堵で胸がいっぱいになりました。劇の記憶は全然なにのですが、「一人だけ赤いの嫌だよね」とほほ笑みかけてくれた、あの時の先生の顔は今でも忘れられません。