これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

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  • 幼稚園の先生との嬉しい思い出

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    私は幼稚園に通っていた頃、とても泣き虫でいつも泣いていた記憶があります。その度に担任の先生は「どうしたの?大丈夫?」と話しを聞いてくれて、泣いているからと言って叱る事もなくいつも優しくてまさに理想のお母さんといった先生でした。そんな優しい先生との思い出の中で特に嬉しかった思い出があります。それは遠足で遊園地に行った後日の事でした。私は遠足で行った遊園地がとても楽しかったけれど、遊園地での思い出を絵に描くという授業がこなせなくてクラスで一人最後まで残ってしまったのです。一人残ってしまっても絵がどうしても描けなくて困っていました。そしたら、担任の先生が一緒に考えてくれました。遊園地で一番楽しかった乗り物を描いてみたらどうかとアドバイスをしてくれて、私は観覧車に乗った事が一番楽しかったので、観覧車を描く事にしました。描くテーマが決まってからは無事に仕上げる事が出来て、先生も喜んでくれました。それからは絵の授業がある度に自分から進んでテーマを決めて取り掛かる事が出来て、これは本当に担任の先生のお陰だと思いました。小学校に上がってからも図工の時間や夏休みなどの宿題などで絵を描く機会が沢山ありましたが、テーマに悩んだ時は幼稚園の先生のアドバイスを思い出して取り掛かる事が出来て、先生には本当に感謝しています。

  • やっぱり保育園の先生はプロだ

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    超がつくほどのママっ子で甘えん坊な3歳の息子は、0歳から3年以上保育園に通っている今も、奈良の大和高田で保育士の求人を朝バイバイするときに抱きしめてあげないと教室に入ることができません。毎日、息子がなるべくスムーズに登園できるよう気を使っているのですが、それができない日もやっぱりあって。救急車が大好きな息子は、毎日登園途中にある病院の救急車を見て行くのがルーティン。でも、ある日寝坊をして病院に寄ることができない日がありました。すると、保育園の玄関に着くなり「行かない!救急車見るからお休みする」と大泣き。息子は泣き止まないし、少しでも奈良の話題の保育園を会社に行く時間は迫ってくるしであたふたしていると、主任保育士さんが通りかかりました。そして、「救急車は、今日はお休みだったみたいだよ。だから、教室に救急車が載っている絵本があるかもしれないから探しに行こう!」と、クラスの担任でもないのに手を繋いで連れて行ってくれました。お迎えの時間に先生にお礼を伝えると、「他のクラスのお友達から、救急車を毎朝見に行ってるのを見かけると聞きましたよ〜。そして、絵本を見て救急車のお話をしたら落ち着いて、自分のクラスに行けました」と、忙しい中その後のフォローまでしてくださった様子を聞きました。親でも対処できないこともあるのに、担任でもない先生が息子の機嫌を立て直してくれたなんて!本当にプロはすごいと感謝しました。


  • 卒園時に先生が号泣!我が子のようにかわいがってくださったことに感謝。

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    認可保育園に入所できず、ひとまず認証保育園に入所した息子。初めての子でしたし、保育園に預けること自体初めてだった私は、20か所以上の保育所を見学。園長先生の「一緒に子育てしましょう。」という言葉に心を打たれ、人気の保育園を奈良の大和高田でも1歳になったばかりの息子を通わせ始めました。園長先生は印象の通り、明るく優しく、いつも親身になって子育ての相談にも乗ってくださり、近くに両親のいない私にとってはいつしか親のように頼れる存在でした。しかし認証保育園だったため、園はマンションの1階。園庭もなく、かなり狭い室内に子どもたちがひしめき合っているのを見て、もっと環境の良いところに通わせたいという思いは変わらず、認可保育園に転園することに。この保育園が奈良では話題と登園最後の日、お迎えに行った私に先生はいつもと変わらず、明るく話しかけてくださったのですが、帰る準備をしていざお別れの挨拶をしようと先生の顔を見ると、すでに涙を流してくださっていたんです。その姿を見て、私ももらい泣き。正直、卒園するこどもなんていくらでもいるから、寂しいという気持ちはあるだろうけれども、泣いて別れを惜しんでくれるとは思っておらず、驚きました。そして、息子の成長を心から楽しみにしてくださっていることを涙ながらにお話ししてくださいました。保育園のスペックとしては不十分なところもあったけれど、預かったこどもを親のように心の底から大切に育ててくださること、これが預ける親にとって一番重視するところではないでしょうか。私が巡り合った保育園でこんなに温かく、優しい場所は他になかったと思います。(息子は認可保育園に入所、その後幼稚園に転園、娘の保育園在籍中)。


  • 保育園で好きだった先生

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    実家に帰省した際、小さいころのアルバムを発見しました。そこで、保育園に通っていた時の写真がたくさん出てきたのですが・・。その中に、おそらく私の初恋であろう先生が映っていました。いや、実際には、私はその先生の事は、全く覚えておらず、母親から「あんた、この先生のことが好きで好きで、毎日○○先生、○○先生って、言ってたんだよ」って、知らされたんです。とまあ、全く覚えてはいないのですが、そのお顔をよくよく拝見してみると・・。うーん、確かに、私好みの顔をしています。黒髪ロン毛でを後ろでキュッと結び、とても活発でやさしそうな顔をしています。ここでふと思ったのですが、異性の好みって、こんな小さいころにもう出来上がっているんですかね。確か、味覚は3歳ごろには出来上がるというのを何かで聞いたことがありますが・・。異性の好みも、かなり低年齢で出来上がるのかもしれませんね。話を元に戻しまして、○○先生。いやあ、本当にキレイです。ぜひ今会ってみたいです。年齢は、もう、40歳を超えていると思いますが、きっとキレイだろうなあ。結婚していなければ、ぜひお願いします!とまあ、小さいころのアルバムを見て、あの頃の淡い恋心が少し蘇ってきた今日この頃でした。

  • 大和高田で保育士を採用すると

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  • 保育園の先生からおばあちゃんへのお手紙

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    もう20年以上前ですが、私が保育園の年長のときの先生との嬉しい体験です。両親が働いていて夜が遅かったので、いつも祖母が迎えにきてくれていました。迎えにきた祖母と、保育園の担任の先生がいつも少しお話しをするのですが祖母の話に先生がいつも笑っていて、あなたのおばあちゃんは面白くて楽しいねと言ってくれることが子供ながら嬉しいと感じていました。その年の祖母の誕生日に、私は手紙を書いて、それを祖母に渡す前に「先生読んで!この手紙おばあちゃん喜ぶかな?」と先生に見せました。先生は手紙を読んで、とても上手に書けていると褒めてくれました。その日、祖母が迎えに来る前に先生が私に、「先生もおばあちゃんにお手紙書いたから一緒に渡してくれる?」とお手紙をくれました。帰ってから、自分の手紙と先生からの手紙を祖母に渡しました。私からの手紙はもちろん喜んでくれました。先生からも手紙があるというとびっくりしながら読み、とても感動していました。お誕生日のお祝いの文書に加えて、いつも迎えのときに祖母と話せるのが楽しいということや、私がとてもいい子で可愛くていつも癒してもらっているというような内容の手紙を書いてくれていました。今でも祖母は私が書いた手紙と一緒に先生の手紙もとっており大事にしています。わざわざ、私の祖母に手紙を書いてくれたことに感動したし、祖母の喜んでいる姿もとても心に残っており嬉しい体験でした。

  • 自分にだけは優しかった幼稚園の先生

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    いまから20年年前になるが、私は幼稚園に通っていました。年少組から入園して、年中組、年長組という風に3年間も園バスで通っていました。浦田先生という若い先生が、私の担任でずっと持ち上がりでした。その先生が園バスに乗って迎えにずっと来てくれたので、余計に接触時間は長くなり、本当にかわいがってもらったという印象が残っています。浦田先生は、今思うと大学を卒業して2年目くらいの年恰好ではなかったかと思います。幼稚園児の私でも、若くてかわいい人であるという風に感じていました。私は、いわゆる聞き分けの良い子供であったので、私の入った集団のその時の管理者からはかわいがられ、おまけに少しだけ他の子供たちより世間ずれしていたこともあり、大変重宝がられたのかと思います。園で団体で何かするときは、私がリ-ダ-をたいていやらされていましたし、演芸会等でもたいてい主役をいただいていました。ただ運動神経は悪い方でしたので、運動会の時のヒ-ロ-にはなれませんでした。後年、母に聞くと私のしらないところど先生宛に付け届けは欠かさずしていたとのことで、少しがっかりはしたものの、私は浦田先生の寵愛を受けておりました。付け届けとは別にしても、浦田先生の好きな子供のタイプではあったのかもしれません。何かと、可愛がってもらって、卒業式の答辞的な役割もさせてもらい、うれしくはなかったですが、子供なりに感謝はしておりました。そんな子供らしくない反応をする私のことが浦田先生は気に入ってくれたのだと今は思っています。

  • 幼稚園の先生が私を理解してくれた話

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    私は幼稚園に通っている時、泣き虫で幼稚園に馴染めずに登園拒否になっていました。年少の頃は休む事が多くても何とか通い続けましたが、幼稚園自体がつまらなく家で両親と過ごしたいと強く思っていました。しかし、年中クラスになると担任の先生が変わりました。明るくて子供慣れしている先生で私が泣いて中々涙を止められなくても責めずに私が泣いている理由をずっと聞いてくれる先生でした。幼稚園がつまらない事、家で両親とずっと一緒にいたい事、そして先生や周りの大人は泣くと怒る事を担任の先生に訴えると「このクラスでなら楽しい思い出作る事が出来ると思う。少しずつでいいから先生と一緒にお友達と遊んでみよう」と言われました。辛かったら、すぐに別室対応もしてくれたので私は安心して年中クラスの担任の先生に身を預ける事が出来ました。私の不安な気持ちや泣きたい気持ちを理解してくれつつも、甘やかす事もなく厳しく指導する事なく丁度良い距離感で常にコミュニケーションを取ってくれました。その結果、私は数ヶ月で年中クラスに馴染む事が出来て友達も沢山出来ました。そして幼稚園が楽しい所だと改めて分かったのです。それからは病欠以外、決して幼稚園を休まなくなりました。私にとって幼稚園は自分を理解してくれる先生がいる場所になりました。

  • 終業式後のクラス会で担任の先生の涙

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    幼稚園の息子の年中の時ですが、初めての子でおとなしかった息子は、年少のときには問題なく過ごしていましたが、年中になりお友達トラブルが出てきました。その際いろいろと担任の先生に相談させてもらい、サポート等していただいて、小さな挫折を経験しながらも、無事進級…最後の終業式が終わり、一年間お世話になりましたと。挨拶を保護者がひとりひとり終え、残すところ先生からの一言だけになりました。一年間このクラスの担任になり年少のときより、自立をうながすように指導してきた先生は、時には厳しくもあり、本当に四月の進級時とは違ってら子供達の成長とたくましさに感動したと、おっしゃっていました。中でもマラソン大会があったようで、そのときコース指導で軽くランニングの時に、こけて両膝から血が出ていた子がいて、その子に走るの無理でしょう?やめておこうと話したようで、そうしたらその子は大丈夫といって最後まで走ったそうです。その話をしながら先生は、本当に痛かっただろうに全力でがんばって走ってくれました。こちらが成長を感じて胸が熱く涙がでました。とお話し中も涙されていました。その子供が息子だったのは、後で先生に聞いてびっくりし、まさかそんなに思い入れをもって接してくださっていたとは知らなく、嬉しくなりました。先生も一生懸命だったのだなぁと感激しました。

  • アレルギー児・涙と笑顔の入園見学

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    アレルギー体質の娘。卵と乳製品の数値が高く、除去をして対応していました。幼稚園入園の時期になっても状況は変わらず。それでも、よくあるアレルギーという感覚しかなく、問題視していませんでした。それが大きな間違いであったことに気付いたのは願書受付の時。卵のみなら除去可能だが、乳製品の除去はできないため、お弁当での対応になる、と言われてしまいました。自分の考えの甘さを痛感し、母に相談。入園時期をあと1年遅らせ、その間に食べられる物を増やしていくことを考えてもいいのでは?と。ほとんどの幼稚園が休職センターを利用していたこともあり、他の幼稚園も似たり寄ったりの対応でした。しかし、ダメ元で相談に行った幼稚園の園長先生は、アレルギーなんて何のその。うちにはマルチなアレルギーの子も給食で対応しています、と。園長先生とマンツーマンの状態で園内を案内され、子供は飛び入り参加で歌を歌ったりお遊戯をしたり。その様子を見て、『2年保育にするなんて勿体ない。こんなに順応できる性格のお子さんなら、きっと楽しい幼稚園生活を送ることがでれますよ。』と言っていただき、園長先生の人柄と、ホッとしたのとで、子供は笑顔、私は涙、の幼稚園見学となりました。小規模の幼稚園だったので、入園後もすべての子供たちを先生が把握してくれており、アレルギー以外のことも安心してお任せすることができました。卒園後も、小学校の運動会を見に来てくれたりと、温かい関係は続いています。この園風に惹かれて集まったママ友も一生の友達になると思っています。