これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

保育園
  • 子供のお願いをかなえるために快く相談に乗ってくださった幼稚園の先生

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    ある日幼稚園から帰宅した子供が、目をキラキラさせながら私にお願いをしてきました。「ママ、みーちゃん作って!!」「え、みーちゃん? みーちゃんって何??」詳しく話を聞いてみると、幼稚園で先生が読んでくれた絵本の中に”みーちゃん”というぬいぐるみが登場したのだそうです。みーちゃんはいつでもどこでも主人公と一緒に居たそうで、それがとてもうらやましかったと娘は言いました。きっと日頃手芸であれこれ作っている私を思い出して、ママなら作れると考えたのでしょう。確かにママは作れます、でもね、ママはみーちゃんを知らないんです。娘の可愛いお願いをかなえてあげたい、でも見当外れの物を作って悲しませたくない、そこで幼稚園の先生に件の絵本のことをこっそり伺い事情を説明したところ、既に絶版の絵本だそうで、なんと快く幼稚園の絵本を貸してくださいました。優しい先生のおかげで、娘待望のみーちゃんも無事完成しました。全く同じ物ではありませんが、本人はご満悦のようです。幼稚園へのお礼も色々と考えたのですが、ぬいぐるみなどは取り合いになってしまうからと先生がおっしゃられたので、娘が読まなくなった絵本を数冊と未使用のタオルをお礼として寄付させて頂きました。あのときの先生には本当に感謝しています。

  • 保育園のお弁当日をすっかり忘れてた前夜!先生が神様に見えました。

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    当時、子供4人(長女5歳、双子2歳、次女0歳)を保育園に預けフルタイムで働いていた私。その日は残業になり仕事を片付けると急いで混み合うスーパーはやめて晩御飯のお惣菜だけを買い閉園ぎりぎりの19時前に保育園に到着しました。保育園の玄関に着くと我が子達が最後のお迎えでした。「お母さんお疲れ様。みんな元気に遊んでましたよ。明日はお弁当よろしくお願いしますね!」と先生が私に報告。「?!忘れてた・・・スーパーも行ってないし家に何か材料あったっけ?今から4人連れてスーパー??むりむりむり!!(泣)」とフリーズ中の私。そんな私を察した先生が「お母さん、冷蔵庫に人参ある?卵ある?ハムは?」と常備されてそうな食材を聞いてきました。「じゃあ!人参しりしり(沖縄料理)とハムチーズフライができるね!あとこれも・・・」と次々と一緒にお弁当のおかずを考えてくれました。そして子供達に「明日のお弁当おいしそうだね~!お母さん4人分のお弁当すごいね~!」と盛り上がってくれてました。帰る際に先に子供達のリュック等を車に載せてまた玄関に子供達を連れに戻ると子供達の手にミニトマトが!「これは長女ちゃんがプランターで育てたミニトマトですよ。鳥に食べられちゃうともったいないから先に内緒で収穫したのでどうぞ。」とミニトマトを頂きました。さっきまで残業で疲れクタクタだった私でしたが先生の心遣いがとっても嬉しく温かな気持ちになりました。翌日のお弁当も子供達は先生とお母さんが一緒に考えたおかずとヒミツのミニトマトの詰まったお弁当を喜んで保育園に持って登園しました。

  • 幼稚園・保育園で先生と外で遊んだ以前の記憶

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    昔は様々な先生に世話になって記憶に残っている出来事が多いです。こんなバイリンガルスクールが神戸の中に特に幼稚園・保育園の時には先生の協力で毎日が楽しかったです。エピソードも多くてやはり先生の手助けの意味が大きかったです。嬉しかったエピソードは幼稚園・保育園の先生が遊びに協力してくれたことです。私は遊ぶ時に砂場やおもちゃを使うことが多かったです。兵庫県の神戸以内でインターナショナルスクールを外で昆虫を探すという遊び方が好きな子供でした。しかし昆虫を探す時に一人でやっていて疲れたことがありました。幼稚園・保育園の先生が私を見つけて一緒に探してくれて覚えています。季節は夏か秋の出来事で沢山の虫を見つけられました。そして虫で遊んでから先生が詳しく教えてくれました。どこの保育園が評判の奈良でもなかには先生は昆虫に詳しくて昔の自分は驚いた記憶があります。そういう幼稚園・保育園での出来事の影響で大人になってからも虫が好きです。実際に学校に行くようになっても先生の知識は役立ちました。奈良の大和高田で保育士の求人を探そうと私は友人たちに昆虫のことを教えられたので先生のおかげです。幼稚園・保育園での経験や知識は非常に役立ったので良かったです。そして先生との絆があって人間下院系にも影響が出ました。困った時の人助けやアドバイスも重要だと分かりました。そういう意味で幼稚園・保育園の先生の役割は素晴らしいものでした。


  • 登園拒否3ヶ月。先生との信頼関係のおかげで笑顔で登園できた

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    当時同じクラスのお友達とのトラブルが原因で子供が人間不信のようになり、3ヶ月ほど幼稚園に通えていない状況でした。人気の保育園を奈良の大和高田でもどこでもその間に進級し、担任の先生やクラスのお友達もかわったこともあり、新生活に期待をいだいていました。しかしコロナ禍の影響で登園自粛となり、直接先生に相談もできず不安な毎日を過ごしていました。そんな時「職員室登園はできないが(感染症対策のため)、毎日の電話でコミュニケーションを取っていきましょう」と担任の先生からの申し出がありました。どうしても評判の奈良でも保育園はここがほとんど会ったことのない先生と毎日お電話で何を話していけば良いんだろうと、当初は戸惑いました。先生は「今日はどんなことをして遊んでいたんですか?○○ちゃんはどんな遊びが好きなんですか?お母さんは、どんなことをして過ごされてますか?毎日向き合っていて大変ですよね。息抜きされてますか?」と、たくさんの質問をしながら子供のことだけでなく母親のことまで気遣う対応をしてくださいました。ここでエレメンタリースクールなら神戸でお電話のなかから子供の好きな事や物を探していたようで、「最近お庭に○○ができたんだよ。○○ちゃん見たことあるかな?○○が幼稚園に来たんだよ。とってもかわいいんだよ。見て欲しいなぁ。」と、きっかけをつくりながら間接的にコミュニケーションを取ってくださいました。どうしても神戸のインターナショナルスクールなんて少しづつ登園が再開され、園長先生をはじめ関係の先生方が積極的にお話を聞いてくださるようになり、母子ともに信頼関係が回復されたように感じます。当初はこのまま幼稚園にいけず、小学校はどうなるのかな、どんな道を子供は歩んでいけるんだろうと漠然と悩んでいましたが、先生方の丁寧な対応をおかげで子供も自分も前向きに変わることができたと思います。私たち親子にとって幼稚園の先生とは「ゆったりと成長を待ち促してくれる、頼もしく無くてはならない存在」です。


  • アンパンマンが好きだった保育園の先生

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    私が通っていた保育園の担任だった先生は、みんな優しくていい先生でした。中でも、年中組の時の先生は、とても面白かったです。通っていた保育園は、学年カラーと一人一人決められたマークがありました。私たちの代は2クラスあり、黄色が学年カラーで、個人的に与えられたマークはひまわりかカタツムリだったと記憶しています。ちなみに、幼少組はピンク、年長組は紫が学年カラーでした。年中組の私のクラスの先生は新任でした。幼少組の時、冬に行われる生活発表会(歌や劇を各クラスが披露する)を見に来ていました。先生が担任になった時、顔立ちは勿論、喋り方や性格の明るさから外国人ハーフみたいだったのが印象的でした。先生が面白いと思ったところは、アンパンマンが好きだったことです。当時、保育手帳(小学校で例えるなら連絡帳)のデザインがアンパンマンだったことや、毎月定期的に全員貰える絵本の中にアンパンマンの絵本があったことも影響しているかもしれません。親が迎えに来る時間になると、なかなか迎えに来ない児童が「お残りの部屋」と呼ばれる部屋に行き、16時からアンパンマンを視聴することになっていたので、私は遊ぶ友達がいない時は、アンパンマンを見て親を待っていました。それくらいアンパンマンが私は、好きでした。先生の普段の衣装もまた、カレーパンマンのように、黄色いエプロンだかかっぽう着を着ていて、メロンパンナちゃんのような(当時はまだメロンパンナちゃんはいなかった)緑のジャージのズボンをはいていて、まさにアンパンマンの世界のようでした。そして、「へい!○○(名前)!」と言いながら、元気よく踊りながら話しかけてきた先生が好きでした。先生を見ると、元気が出たからです。その明るさも、アンパンマンみたいだったからだと思います。その年の運動会などのイベントで一等賞とか賞を取った時に貰ったメダルも、アンパンマンでした。その先生は、次の年にはいなくなっていたと思います。いつも明るくて、黄色が本当に似合っていて、年中組はひまわり組と呼ばれていましたが、本当にひまわりのような人でした。なので、アンパンマンを見たり、保育園の前を通ると、時々先生のことを思い出します。恐らく私が先生を好いていた理由は、先生もまた、児童とアンパンマンが好きだったからだと思います。もし好きではなく形として接してきたならば、それは明らかに態度に出ているはずだからです。

  • 仕事を超え、子どもを愛してくれた幼稚園の先生

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    我が家の子どもが幼稚園に通っていたのは、もう5年ほど前になります。大和高田で保育士を採用するとこんなに自由に伸び伸びとした教育をモットーとするその幼稚園では非常に温かく普段から子ども達を見守ってくれていました。いい幼稚園だとは普段から思っていたのですが、何よりもその幼稚園で心を打たれたエピソードがありました。それは年に一度のプレイデー(運動会)でのことです。毎年年長になると運動会の最後に二つのクラスに分かれてリレーで対決をします。一番奈良で話題の保育園がこんなにも小さなグラウンドの中で小さな子ども達が力の限り走る姿には、毎年親は泣かされています。しかし、そのリレーでさらに感動させてくれるのはその幼稚園の先生達です。勝ったチーム、負けたチームと当然分かれるのですが、勝っても負けてもその担任の先生たちは子ども達と共に大号泣をするのです。嬉しい涙と悔しい涙。運動会当日に向けて頑張ってきた思いが子ども達にも先生にもあるのでしょう。しかし、あれだけ子ども達と一緒に涙を流せる先生は、それだけ子どものことを普段から気にかけてくれているのだと思いました。素晴らしい教育者と出会えたと思います。そして、そんな先生たちが見せてくれたもう一つの感動があります。卒園をして、入学式の日。各園からのお祝いメッセージが小学校に貼られているのですが、そのなかで唯一通っていた幼稚園だけが、園長先生からではなく、担任の先生からのメッセージでした。素晴らしい先生に出会えたことに感謝です。


  • 保育園での嬉しい先生との体験談について

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    保育園で嬉しかった先生の体験談としましては、いつも私の次男が本気で泣いて「今日は保育園行くの嫌だぁ!!」と言う感じで、本気で泣きながら、保育園に行くのをなんとしても阻止しよう!と言う形で、玄関に全力で捕まったり、階段の掴める所に捕まって手当たり次第に保育園に行くことを阻止するものでありました。また、なんとか引きづりながらでも保育園の玄関につきました際には、今度は保育園の門に全力で捕まってなんとしても阻止すると言う気迫のある阻止で、親と保育園の先生をいつも困らせるものでありました。しかし、ある日みかねた保育園の先生が、「お母さん大丈夫ですか?」と言う形で、手伝ってくださる形で、自宅まで息子を引き離しに来てくださった際には非常に涙が出そうな程感激するものでありました。このことから、次回からは、先生の手を煩わせるような形になってしまいましたが、毎回保育園の先生が住宅まで迎えにきてくださり、手を引き離してくださることで非常に安心するものでありましたので、親としても大変助かるエピソードでありました。田舎の方の園じゃないと、中々ここまでしてくださる先生は居られないのではないか?と実感した瞬間でもありました。今後もとも先生のお世話になろうと考えております。

  • 幼稚園が嫌で家に走って帰ったが迎えにきてくれた先生

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    幼稚園に通い始めの事は馴染めなくて嫌で嫌で仕方なかったのである日、幼稚園から飛び出して家に帰ったことがあります。でも母はパートに出ていて家の鍵はかかったままになっていたので入れなくて困っていたところに幼稚園の先生が家まで迎えにきてくれました。決して私を叱ろうともせず泣いてる私をとてもやさしく慰めてくれました。この出来事は40年以上経過した今でも心に残ってるんです。人のやさしさに初めて深く触れた出来事だったかなっておもっております。ちなみに家から幼稚園までの距離は歩いて10分程度で家から500メートルくらいの距離にあったんですごい近かったのです。それ以後は幼稚園から飛び出して家に帰ろうとすることはなくて年長組になってからは幼稚園の友達との関係も良好で逆に幼稚園に通うのが楽しくなってきてました。そのころに戻りたいとはおもいませんが小学校時代よりかは楽しかったです。あと幼稚園は1年目と2年目はそれぞれ違う先生でした。2年目の時の先生のこともよく覚えてますけどもよく怒られた記憶が強いです。かなりの悪ガキだったので怒られても仕方なかったですけども。今もその通ってた幼稚園はありますし私の時代の園長先生は今もご健在だそうです。

  • 幼稚園で園長先生に救われた一言

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    それは長男が年長さん、次男が年少さんとして入園した年の夏の出来事でした。私は引越作業や、仮住まいを義理実家とした事で多忙かつリラックスできない日々が続いてました。加えて次男の慣れない集団生活が始まった事で毎日の送り迎えが至難の業でした。バスを使えば良かったのですが経済的に余裕が無かったのです。元々体力のない私が二人の送り迎え、そして続く真夏日、日常生活のストレスでついに眩暈が悪化し、お迎え時にヘタヘタと座り込んでしまいました。不思議そうにする園児達。心配そうにする我が子。すると園長先生がすぐに来てくれました。人目にさらされないよう使用していないフリー教室に私を誘導し、布団を敷いてくれ、アイスノンを渡してくれ、「大丈夫よ。すぐに良くなるからね。」と笑顔で声をかけてくれました。それからというもの、トラウマになってすっかり気分が落ち込んでしまい、眩暈もよくならず子供達の送迎もできなくなりやむなく早めの夏休みという形で休園せざるを得なくなり、自分を責める日々でした。すると園長先生が電話をくださいました。そのお話の中で今でも忘れられない一言とは・・・「生きていると色んな事があるものよ。大丈夫よ。きっと良くなるからね。心配しないでゆっくり過ごしてね。」ゆっくりとした口調で優しいトーンでこう語りかけてくれた園長先生に涙がこぼれました。子供の健やかな成長には親が心身ともに健康である事が大切です。子供の保育だけでなく、親のメンタルサポートもしてくださる幼稚園に頭が下がる思いと共に、これからも子供達の為に笑顔でがんばろう!と痛感した出来事でした。

  • 保育園の先生に、褒められるより嬉しかったこと。

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    娘が保育園年少の時の話です。娘は絵を描くのが好きで、特にお姫様の絵を好んで描いていました。人の形は棒人間だけど、服を着せて色も自分の好みのパステルカラーを何色も使い、と頑張って自分なりのお姫様像をいくつもいくつも描いていました。当時仕事が忙しく、お迎えが遅くなりがちだった娘は、延長保育の時間にもそのような絵をたくさん描いては先生たちに見せていたようです。ある日、めったに入ることのできない保育室に入る機会がありました。子供たちが制作した絵や工作が掲示されている中、1枚だけ絵が貼ってありました。それは娘が描いた、お姫様の絵でした。娘に聞いてみると「うまくかけたから、はってくれたみたい」と言います。もちろん4歳児が描いた絵ですから、私が親バカフィルターを通して見ても「年の割にはまぁ結構上手かな」という程度の絵です。それをわざわざ貼ってくれたのは、いつも遅くまで残ってずっと絵を描き続けていた娘の努力を認めてくれたからではないかと感じ、直接褒められるよりも嬉しい気持ちになりました。絵は、年少の間ずっと貼ってありました。
    お迎えは早くなったけど、今でも絵を描くのが大好きな娘。このまま好きなことをずっと続けてほしいし、認めてくれた先生たちへの感謝の気持ちも持ち続けていたいです。