これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

保育園
  • 幼稚園で開花した創造性

    保育園

    我が子が幼い時の話です。娘の通っていた幼稚園では、畑で作物を植えて育てる農場体験がありました。エレメンタリースクールならこの神戸でもって春に種イモを植え、実りの秋を迎えると“芋掘り大会”という名の収穫イベントがあります。じゃがいもが育つまでは水をあげたり、様子を見に行ったりと子ども達は収穫できる日を心待ちにしていました。そして、ついにその日が!しかし、娘は体調を崩してしまい、残念ながら芋掘り大会に参加する事が出来ませんでした。その数日後、みんなで収穫した思い出を絵に書く事になり、参加出来なかった娘は想像で書くことになりました。「どうやって書けばいいの?」と先生に相談すると「こうしたらどう?」と具体的なアドバイスをもらい、絵は完成しました。その絵は、自分(娘)が真ん中に描かれており、岩のように大きなじゃがいもを畑いっぱいに収穫している絵でした。あたかもその日に収穫を体験したような、躍動感と生命力あふれる作品になりました。はじめは、胃カメラ検査で痛みが少ない姫路のおすすすめできるのは体験出来なかったのに書かせるなんて酷だなと思っていたのですが、芋掘り大会に行きたかった娘の想いを理解してくれ、それを絵に表現させてくれた先生の心に感謝の思いでいっぱいになりました。その後、その絵は系列の学校で開催された展示会の作品として選ばれ、16年経った今でも、我が家の宝物です!


  • テスト用紙先生からのお手紙

    保育園

    私が高校3年生の時の話である。当時の私の将来の夢は管理栄養士になること。神戸でもインターナショナルスクールといえることは授業が終わると放課後理科の先生が特別授業を行って下さっていました。今思うと本当に感謝しかないです。特に面白い先生ではないですが教え方がうまくこちらのやる気を引き出してくれる優しい先生でした。しかし勉強についていけず遊ぶようになりました。先生はそれでも叱ることなく優しく見守りタイミングを見てまた勉強を教えてくださいました。そんな先生が教育委員会へ転勤になることがきまり勉強は教えれなくなった。と言われました。勉強どうしよう。と思ったその時「代理の先生を用意したから。新大塚の歯医者は、どこも人気と評判のことにはその先生いい人だから。」と私の勉強のために代理の先生を用意してくださっていました。しかしどうしても初めに教えてくださっていた先生がよく新しい先生には冷たい態度ばかり取り無視をしてしまったり放課後も勉強部屋にもいかなくなりました。その先生の授業中も聞いていないふりをしてしまいました。今思うと思春期で反抗していたのだと思うが胸が苦しくなります。そんなこんなで卒業式が近づいてきこのままでは先生に申し訳ないなと胸を痛めていました。卒業前の理科のテスト。余白部分に「先生、せっかく教えてくださっていたのにごめんなさい。」と一言書きました。点数を付けられ戻ってきたテストをみると「こちらこそ教えてあげれなくてすみません」とありました。涙が出そうになりました。
    テスト用紙でのお手紙本来ならダメなことですが、この1回ずつのやりとりでわだかまりもなくなり卒業式後は面と向かって謝ることができました。


  • 幼稚園の先生からの可愛いお手紙で娘も安心

    保育園

    娘と幼稚園の先生のお話です。娘はとても甘えん坊で寂しがりやな性格です。この神戸でインターナショナルスクールとなるには学年が上がるたびに元担任だった先生が忘れられずしばらくクラスに馴染めないことがありました。年長になっても変わらず年中の時担任だった先生に会いに行ってしまいます。京都でニキビ治療ならおすすめの皮膚科といっては元担任の先生も今のクラスの子供たちがいるので娘にはあまり構ってということができず寂しい気持ちが募り幼稚園に行きたくないという日が増えてしまいました。現担任の先生に相談しましたが元担任と娘のことなのでなかなか解決できませんでした。ゴールデンウィークも間近の少し落ち着いた頃に娘が元担任の先生から手紙をもらったととても嬉しそうに帰ってきました。そんなにも話題の保育園が奈良ではとてもここへはその園では子供に手紙を書くのはあまりありません。暗黙の了解で禁止されているような感じでした。ですが娘のことを心配した元担任の先生が完全に禁止されている訳ではないのでということで書いてくれたのです。その手紙には娘のことが大好きということまたたくさん遊びたい今の担任の先生もとても優しいから安心して大丈夫だということが書いてありました。奈良であの大和高田で保育士を採用しようと思っても娘と先生が楽しく遊んでいるようなイラストも書いてありました。その手紙を読んで先生は自分のことが嫌いになったわけじゃないということが分かりだんだん今のクラスにも慣れて無事に卒園しました。元担任の先生も現担任の先生のことも大好きです。どうしても神戸ならインターナショナルスクールには親以外にはじめて信頼できた先生に受け入れてもらえた経験が今の娘にとても良い影響を与えているなと思いました。


  • 娘が発表かいに出れた理由は保育園の先生の引き寄せ!

    保育園

    娘が発表会に出れた理由は保育園の先生の引き寄せ!
    長女はA保育園の4歳クラスに所属しています。所属していると書かざる得ないのは現在通っていないからです。長女が1歳になる前にA保育園に預けて働きはじめ、当時は慣れない育児と仕事の両立で、ジェットコースターのような毎日でした。現在は第2子の育児休業中で長女はA保育園に通うことは出来るたのですが、コロナ禍で次女を連れての毎日の送り迎えするのが怖くて半年以上お休みしていました。旦那が休みの時など一人で行ける時を見計らって保育園に定期的に手紙を取りに行くのですが、毎回小学校の時に長い髪をショートにして始めて登校しなきゃならない時のような気持ちで、保育園に行くことがどんどん苦痛になっていました。ある土曜日に行くと娘を0歳クラスで担任してくれていてその年に退職した“ようこ先生”と入口で会いました。「先生また来られてるんですか?」。「急に病欠が出て一か月だけお手伝いに来てるんですよ。お母さん元気そうですね。出産おめでとうございます。琴ちゃんは元気ですか?4歳ですよね。お姉ちゃんになったんですね。」そのまま暫く立ち話をしました。すごく心が癒され明るい気持ちになりました。「来月簡単な発表会があるから出来たら何回か練習に来て出ませんか」と今の担任の先生に言われていて正直言って面倒な気持ちが強くて長女には言っていませんでした。でもようこ先生と話て長女が可哀そうに思えて来ました。「保育園に行くのももう2年もないんだ」と改めて思いました。翌週から頑張って起きて、発表会まで長女を午前中だけ保育園に通わせました。長女はすごく楽しいようで「ようこ先生と鬼ごっこをした」とか保育園での出来事を嬉しそうに毎日話てくれました。寒くなってきて感染者も増えているのでまた長女は休ませていますが発表会で成長した長女の姿を見ることが出来て本当に良かったです。ようこ先生に再開できて本当に良かった感謝しています。

  • 親だけでなく母親のメンタルケアもしてくれた保育園の先生に感謝!

    保育園

    息子が1歳になったのを機に仕事に復帰しました。繁忙期と閑散期の差が激しい職場で、私が復帰したころはちょうど繁忙期の山の頂上から後処理をしている時期でした。息子は幸いにも病気になることは少なく、急な呼び出しの電話などは私が覚悟していたほどはありませんでしたが、夜泣きがひどく、保育園に預けてからはさらに夜眠れないことが増えてしまいました。夫も家に帰ってから3時間ぐらい息子を連れて3時間ぐらいドライブに連れて行ってくれたりと協力はしてくれたのですが、仕事で閑散期に入ったぐらいで疲労がたたって出勤してすぐにめまいを感じ、その日は有給を取得することになりました。保育園に仕事が休みになったので迎えに行く旨を電話して迎えに行くと、保育園の先生が「顔色が悪いけど大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。職場で体調が悪くなって休みにしたことを伝えると、先生は「じゃあ、連れて帰ったら大変じゃないですか!」といつもの時間まで預かってくれると言ってくれました。いつも送っていくと泣いていたので預けていて大丈夫か不安だったのですが、先生が察して保育室のドアから子供の様子をこっそりのぞかせてくれました。朝はあんなに泣いていたのに、保育園の先生の手作りのおもちゃで楽しそうに遊んでいました。そして、「子供だけじゃなくて本人も困ったことがあったら是非相談してくださいね!」と念を押されました。その日はがっつり眠ることができ、本当に助かりました。また、いざとなったら頼りになる保育園の先生がいるというのが心強く、スムーズに仕事復帰することができました。

  • 写真と共に鮮明に蘇る、幼稚園の思い出

    保育園

    幼稚園を卒業したのはもう何十年も昔になってしまいました。しかし当時の園のこと、先生方、お友達のことは覚えています。今の時代なかなかやらないであろうことを、当時はすんなりとやっていたという、その思い出の1つとして、お芋ほりがあります。幼稚園のみんなで2人一組で男女手をつなぎ、園から離れた畑まで徒歩で行ったこと。大きな広い畑でさつまいもを掘ったという出来事ですが、普段、野菜嫌いな自分ですら、お芋が畑の土からできていることを5歳くらいから知っています。園のみんなでお芋を掘って、泥だらけになった様子にサツマイモを持ち、先生と楽しそうな笑顔で撮った1枚の写真があります。先生は上野先生という、髪の長い美人な若い先生でした。先生との楽しい思い出はそれだけではありません。歌や音楽会の練習も楽しかった記憶があります。不思議なことに今でも、幼稚園の時に習った歌を覚えています。年に1度の音楽会では「アメリカン・パトロール」を合奏。その練習で私はピアノを習っていたので鍵盤ハーモニカを担当し、すんなり弾けた記憶があります。先生はその他、太鼓や木琴、トライアングル、タンバリンなど、子どもたちそれぞれに忍耐強くおしえてくれ、無事に発表会では止まることなく完成できました。よくあんなに小さい子供たち、しかも、楽譜の読めない子たちに怒らずに優しくおしえてあげられるもんだなと、子育てをしている今だからこそ、感心してしまいます。今でも幼稚園の写真と共に、楽しい思い出たちが鮮明によみがえります。

  • ケガをしたときの対応がうれしかった

    保育園

    子供が幼稚園でケガをしたことがあります。外で遊んでいたときに転んでしまったようです。私が幼稚園のお迎えに行ったとき、子どもの膝には絆創膏が貼られていました。ちょっと擦りむいたようなものではなく、出血してしまったようです。転んだときのことを幼稚園の先生が伝えてくれて、盛大に泣いていたと話していました。子どもは男の子なのですが、男の子の場合だと「男の子なんだから泣かないの!」という人が少なくありません。私はそれは男女差別だと思います。男の子でも泣きたいときはあります。通っていた幼稚園の先生でも子どもが泣いたときに「男の子なんだから泣かないの」という人がいたのですが、このときに対応してくれた先生はそうではありませんでした。家に帰ってから子どもから聞いたことなのですが「痛いの痛いの飛んでいけ」とおまじないをかけてくれたそうです。やってもらったら、子どもの痛いのが治まったのだそうです。私も小さいときには、親に痛いの痛いの飛んでいけをやってもらっていました。今もこういうことをしてくれる人がいるのだなと思ったのと、優しく対応をしてくれたことをうれしく感じました。子どももうれしかったことでしょう。優しい先生に恵まれてよかったです。

  • 園長先生ありがとうございました

    保育園

    私には、二人の子供がいます。上の子が女の子で、下の子が男の子です。上の子が幼稚園に行っていた時に下の子を妊娠しました。お姉ちゃんが幼稚園に行くといつも園長先生が笑顔で迎えてくれて、優しく話しかけてくれていました。園長先生も担任の先生もとても優しかったので安心して幼稚園に通うことができました。お姉ちゃんも毎日幼稚園に行くのを楽しみにしていました。そして、下の子を妊娠して出産しました。赤ちゃんは、昼間も夜中も泣くのが仕事です。夜中に何度も授乳をして寝られなくても朝になると朝食の準備をして、お姉ちゃんを幼稚園に連れて行きました。夫も祖父母の助けもありませんでした。そんな毎日を繰り返していると、私の身体に変化が現れました。夜中に赤ちゃんの授乳に起きた時や、朝起きた時に歩こうとするとめまいがして真っ直ぐに歩けなくなりました。とにかくめまいがして気持ち悪くなり吐きました。それでもお姉ちゃんは、幼稚園に行きたがっていましたが私の体調がすぐれないので幼稚園に連れて行くことができないので、幼稚園にお休みをする電話を入れました。そして、子供の具合が悪いのではなくて自分の具合が悪いので休ませてもらうことを言うと、園長先生が私の家に迎えに行くと言ってくれて送迎をしてくださいました。そして、私の体のことも心配してくれてメニエール病ではないかと教えてくれました。そのとおりでした。本当に優しい園長先生に親子共々感謝しています。

  • 保育園の先生に子供の絵を褒められて親子で幸せでした。

    保育園

    うちの子は絵を描くのが大好きな子でそこを保育園の先生にすごく褒められたことが今でもとっても嬉しい出来事でした。おかげで子供も絵を描くことにとても自信をもっているので、学校に上がってからも賞などをいくつもとっています。それは保育園の先生などに褒められたことによって、のびのびと自分を表現できているんだとおもいます。年長さんになったときに、大きなキャンバスにみんなでいっせにお絵描きをするという授業がありました。そこでうちの子が大きな虹を描いたそうなんです。そこにみんなで虹を歩いている人を描いたり星を書いたりしてすごく楽しかったんですよ!って先生が褒めてくれました。うちの子はうれしくなったみたいで、虹に階段を描いたそうです。そこにまた違う子が昇っているところを描いたり、猫ちゃんが橋をのぼっているところを描いたといっていました。他の先生もすごく気に入ってくれたみたいでしばらくの間保育園の玄関にずっと飾られていました。「〇〇君のおかげでとっても素敵な絵が完成しましたね。将来とっても優秀なデザイナーとかになるんじゃないですか?」って言われました。子供には「〇〇くん。とっても素敵な絵を描いたね。ありがとうね。みんなの宝物だね」って言ってくれました。

  • 手のかかる私にいつも優しくしてくれた幼稚園の先生

    保育園

    幼稚園児だった私は母の事が大好きで、毎日、私を幼稚園に送って去ろうとする母から離れようとせず大泣きして、母と幼稚園の先生を困らせていました。この奈良で大和高田の保育士を求人でもここがなんとか母と別れることが出来たとしても、幼稚園にいるあいだ、事あるごとに母を思い出しては、自分の組の担任の先生に「お母さんは?お母さんに電話してー。」とぐずっていました。そのたびに先生は私を電話の前まで連れて行き、受話器を取って母に電話をかけて話す「フリ」をしてくれました。もちろん、市川市で痛みの少ない胃カメラはここに当時の私は本当に電話をしてくれていると思っていました。先生が「お母さん、あとでちゃんと迎えに来るからねって言っているよ。子どもを奈良の保育園に口コミで入れるにはどこがそれまでお友達と遊んでおいで」と言ってくれると、安心して友達のもとへ行けたのを覚えています。まぁ、またしばらくすると母が恋しくなって先生に訴えるのですが…。ある日、いつも以上に母がそばにいないことに不安になり、友達とも遊ばずにずっと泣いていたことがあります。きっと先生も忙しかったはずなのに、ずっと私のそばについていてくれてお話してくれました。どうして多くのエレメンタリースクールの中で神戸でも普段は友達と遊んで過ごす幼稚園、先生とふたりきりで長い時間おしゃべりすることはなかったので、この時間をきっかけに私は先生のことがもっと好きになりました。これは後ほど知ったのですが、その日の私は「今日は先生のお家に帰ってお泊りする!」とまで言っていたそうです。どうしてインターナショナルスクールの神戸も大人になって振り返るとなんて手のかかる子だと我ながら呆れますが、いつもまっすぐ丁寧に向き合ってくれた先生には感謝しかありません。