春の気配を含んだ風が吹き抜けると、あの日々の記憶がふわりと蘇ります。まだ少し肌寒い朝、眠い目をこする子供の手を引いて歩いた通園路。アスファルトの隙間に咲くタンポポや、電線に止まるスズメにいちいち立ち止まり、「遅刻しちゃうよ」と急かしながらも、その愛らしい横顔に心を救われていた毎日。 先日、奈良へ引っ越すことになった友人が、不安そうな顔で相談に来ました。新しい土地での生活、そして何より子供の預け先のこと。彼女がスマートフォンを片手に「 大和高田 保育所」と検索している姿を見て、私は懐かしさと共に、かつての自分を重ね合わせていました。親にとって、子供が長い時間を過ごす場所を選ぶことは、単なる施設選びではなく、子供の「世界」を選ぶことと同義だからです。

初めて保育園の門をくぐった日の、あの胸が締め付けられるような感覚は、経験した親にしか分からないものでしょう。私の足にしがみついて離れない我が子。先生に抱きかかえられ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら伸ばしてくる小さな手。 「ごめんね」 会社へ向かう電車の中で、何度も心の中で謝りました。なぜもっと一緒にいてあげられないのか、働くことはエゴなのか。そんな葛藤を抱えながら、それでも私たちは社会という荒波の中で、必死にパドルを漕ぎ続けなければなりませんでした。

しかし、そんな親の感傷をよそに、子供たちは驚くべき速さで環境に適応していきます。 「ママ、きょうね、せんせいとおいかけっこしたの!」 「きゅうしょくのカレー、おかわりしたよ!」 お迎えに行くと、朝の涙が嘘のように晴れやかな笑顔で駆け寄ってくる我が子。その泥だらけの服と、少し汗ばんだ髪の匂いを嗅ぐたびに、私の肩の荷が一つずつ降りていくようでした。家では私と子供だけの小さな世界だったものが、保育園という場所を得て、急速にカラフルに彩られていくのを感じました。

保育園生活において、先生方の存在は計り知れないほど大きなものです。 初めての発熱で呼び出しを受けた時、焦って駆けつけた私に、先生は「お母さん、お仕事大変でしたね。〇〇ちゃん、お母さんが来るまで頑張って待っていましたよ」と声をかけてくれました。子供の体調だけでなく、働く親の心までケアしてくれるその一言に、張り詰めていた糸がプツンと切れて、涙が出そうになったことを覚えています。 離乳食の進め方、トイレトレーニング、お友達とのトラブル。育児書には「正解」が書いてありますが、現実の育児は「例外」だらけです。そんな時、プロの視点で「その子らしさ」を見極め、アドバイスをくれる先生は、まさに戦友であり、もう一人の母のような存在でした。

季節ごとの行事も、アルバムのページを鮮やかに埋めてくれました。 七夕の短冊に書かれた、宇宙人のような文字。運動会で、音楽とは全く違うリズムで楽しそうに踊る姿。発表会の舞台上で、緊張のあまり棒立ちになってしまったけれど、私を見つけて小さく手を振ってくれた瞬間。 家で見せる甘えん坊の顔とは違う、集団の中での「社会人の顔」を垣間見るたびに、子供の成長に驚かされ、少しの寂しさと大きな誇らしさを感じました。

もちろん、綺麗事ばかりではありません。 朝の忙しい時間に限って「行きたくない」と泣き喚く日もありました。靴下が気に入らない、髪型が違う、昨日のテレビが見たかった。理不尽な理由で玄関でストライキを起こされ、時計とにらめっこしながら途方に暮れた朝。 感染症が流行れば、家族全員がドミノ倒しのようにダウンし、有給休暇の残日数を計算して青ざめる日々。洗濯物の山を前に、乾燥機付き洗濯機を拝むような気持ちで見つめた夜。 けれど、不思議なことに、時が経てば経つほど、それらの苦労は笑い話へと昇華され、温かな記憶のフィルターがかかっていくのです。

それはきっと、保育園という場所が、単なる「託児の場」ではなく、子供にとっても親にとっても「生活の場」=「第二のおうち」だったからでしょう。 先生やお友達と食卓を囲み、同じ布団で昼寝をし、喧嘩をして、仲直りをして、共に笑い合う。血の繋がりはなくとも、そこには確かな「家族」のような絆がありました。

卒園式の日、少し大きくなった制服に身を包んだ子供たちの背中を見て、私は確信しました。 私たちが子供を預けていた時間は、決して「かわいそうな時間」でも「空白の時間」でもありませんでした。それは、親以外の大人から愛されることを知り、同世代の仲間と切磋琢磨し、社会への信頼を育むための、何にも代えがたい豊かな時間だったのです。

今、これから保活を始める方、あるいは毎朝泣いている我が子を預けて胸を痛めている方に伝えたいことがあります。 大丈夫です。子供は、大人が思っているよりもずっと強く、逞しい生き物です。そして、保育園の先生たちは、親と同じくらい、時にはそれ以上に、子供たちのことを愛し、考えてくれています。 送り迎えの自転車から見上げる空の色や、帰り道にスーパーで買うアイスクリームの味。そんな些細な日常の断片が、保育園という場所を通して、かけがえのない親子の思い出として積み重なっていきます。

小さな手のひらが掴んだものは、砂場の砂だけではありません。 「自分は愛されている」という絶対的な自信と、「世界は楽しい場所だ」という希望。 それこそが、保育園という「第二のおうち」で見つけた、一生ものの宝物なのです。