これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

2021年8月
  • 幼稚園の先生の優しさ

    保育園

    幼稚園の先生のことは今でも良く覚えています。若い女性の先生でしたが、いつも明るくてニコニコしてる優しい先生でした。ある日、私が幼稚園で友達と喧嘩をしたことがありました。てっきり怒られるのかなと思っていましたが、先生は怒ることはありませんでした。喧嘩の内容は何だったか覚えていません。ただ、幼稚園の時にはすでに、私には好きな子と嫌いな子がいました。嫌いな子はどこか調子に乗っていて、人をジャッジして悪口を言ったりするようないじわるな子。どこに行っても一定数いるこのタイプが昔から嫌いで、今でも嫌いなので、きっと何かムカっ腹たつことがあったのだと思いますが、その時の先生はやんわりとその子とは離してくれてなだめるような対応でした。今思うとたいした喧嘩でもないので、怒るまでもないのだとは思います。その幼稚園の先生は、なるべくみんな平等に接してくれる先生で誰かをえこひいきしたり、目立つ子にばかり目を向けるというのは親でも先生でも良くあることですが、その先生はジャッジをしないという姿勢があったところが、あの優しさの正体なのかと思います。笑顔で話しかけてくれたり、大好きという言葉をかけてくれる愛に溢れた先生でした。幼稚園の先生みんながそうだったかというと違ったので、その先生だけ特別柔らかく、優しい雰囲気のある先生だったと思います。

  • 幼稚園の先生に感謝の言葉を送ります

    保育園

    子どもが幼稚園に通っている時、私たち夫婦は共働きでした。どんなバイリンガルスクールが神戸の中にもどっと主人も残業が多く、私も時間が不安定な仕事をしていました。幼稚園のバスは、保護者がその場所に迎えに来られないと乗せてもらえなかったのです。週に何回かは迎えに行けず、子どもを幼稚園に置いたままにして、車で迎えに行くこともしばしばでした。子どもが、幼稚園の明かりの中で、一人で待っているかと思うと、申し訳ない気持ちが込み上げてきて、人気の奈良でも、この保育園はどこでも少しにはいつの間にか泣きながら運転している事もありました。子どもが、お友達と乗りはずだったバスに乗れず、お腹を空かせて一人でポツンと待っているかと思うとやるせない気持ちで一杯でした。私がようやく幼稚園に着くと先生が「もう少し早く迎えに来てくださいね」といつもおっしゃいました。申し訳ない気持ちで帰宅のとに着くと、子どもが今日の出来事を話してくれて安心しました。「ごめんね」というと、子どもが「大丈夫、先生のうちの子も、幼稚園に待ってるんだって。私だけじゃないんだね」と言うのです。私は、ハッとしました。根管治療が専門の岡山の歯科医院は少しも探せずとあんなにぶっきらぼうに言われていたのに、先生は手の空いている先生に任せず、私と同じ事をして子どもの事を見ていてくれた事に、初めて気がついたのです。私は、自分の事しか考えていませんでした。どこの奈良でも評判の大和高田の保育園ではとても子どもの先生は自分の子どもではない、うちの子と一緒に待っていてくれたのです。本当に感謝の言葉しか見つかりませんでした。


  • 引っ越し前に最後まで気にかけてくれる幼稚園の先生

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    私は、小学生1年生の時に引っ越しをすることになりました。生まれてからずっと同じ場所に住んでいて、違う県への引っ越しなので、引っ越し前に良く遊んでいた人たちとはなかなか会えなくなります。幼稚園は、地元の幼稚園に行っていたために、友達も多く、先生も優しい人ばかりで、卒業をしてもたまに食事にいくことがありました。そして、私が小学生1年生になって親の都合での引っ越しが決まり、それを交流の続いていた幼稚園の先生に伝えました。先生は、残念だと言ってくれて、引っ越し前にみんなで食事に行こうと声をかけてくれました。幼稚園は卒園をしていて、小学生になっても、園児の事や親の事を考えてくれていて、覚えていてくれるのはとてもありがたかったです。

    幼稚園の先生と、私と、親とで食事に行き、幼稚園での出来事や、思出話をするのが楽しかったです。

    幼稚園の時期というのは、子どもがまだまだ社会ルールも分からず、教室でも静かにすべき時に騒いだり、動き回ったり、幼稚園の先生は本当に大変だと思います。

    たくさん園児がいて、そこで一人一人を見ていくのは大変なのに、それぞれの子どもをしっかり見てくれて、暖かい態度で接してくれることに感謝の気持ちでいっぱいです。

    卒園しても覚えていてくれて、大事に考えてくれたことがとても嬉しかったです。

  • 氷の女王の劇でパジャマor真っ赤なチュチュの究極の選択から私を救ってくれた幼稚園の先生

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    幼稚園の年長の時、お楽しみ会でクラスごとに劇をすることになり、私のクラスは『氷の女王』をやることになりました。私は雪役で、舞台上の役者が登場したり退場するタイミングで「〇〇が来たぞ」と叫びながら舞台を走り回って去るだけの簡単な役でした。劇の衣装は幼稚園が指示した条件を満たすものを各家庭で容易することになっていたのですが、メインの登場人物の衣装はかなり気合が入っていたのに対し、雪役は全身白っぽい服、という指示しかなかったそうです。母は同居していた祖母の介護をしていたこともあり、手の込んだ衣装を用意する余裕がなかったそうです。幼稚園の劇なので衣装合わせなどなく、劇本番の当日に初めて衣装を持っていく仕様でした。母が用意した衣装は、なんとキャラクターものの柄が描いてある白いパジャマを裏返したものでした。要するにただのパジャマです。生地が薄いので裏返しても絵柄がうっすらと透けていました。下半身は白いタイツという指示だったのでズボンすらなく、子ども心にも「これはないんじゃ・・」とショックを受ける代物でした。泣いて拒否しましたが他に白い服もなく、パジャマを持って幼稚園へ行きました。私以外の雪役は2人いたのですが、1人はとても可愛いフリフリの白いワンピースで、もう1人はなぜか濃い水色のワンピースでした。園の指示とは違う色でしたが、注目の的だったのは私の裏返したパジャマにタイツという奇妙すぎるスタイルでした。周りの子ども達から鬼のような突っ込みを受け、水色ワンピの子にまでバカにされ、また泣きました。自分でも裏返したパジャマよりは水色ワンピの方がマシだと思いました。すると、隣のクラスの先生が騒ぎに気づき、担任の先生を含めて数人の先生達がワラワラと私の周りに集まってきました。大人同士小声で深刻そうに、これはないね等言っているのが分かりました。そして、「ちょっと待ってて」と言われ、真っ白で素敵なバレエ用のチュチュを持ってきてくれました。幼稚園の備品だと思います。バレエのチュチュは当時クラスの女子の憧れで、私も思わぬ救い以上の待遇に歓喜したのを覚えています。「ずるい、ずるい」と他の子が連呼する中、私と水色ワンピの子の2人はチュチュに着替えることになりました。ところが、その白いチュチュはサイズが小さく背中のボタンが止まらなくて、結果的に2人とも着ることができませんでした。すると、年配のちょっと怖い先生が、まさかの真っ赤なチュチュを持ってきました。その赤いチュチュはサイズが大きく着ることができましたが、雪役に赤なんてありえないということくらい、幼稚園児の私でも分かりました。水色ワンピの子は赤を着るくらいならこのままでいいと言い、先生も「仕方ないね」と了承していましたが、パジャマの私には真っ赤なチュチュを着るよう強く迫ってきました。氷の女王の舞台で一人だけ真っ赤なチュチュを着るなんて絶対に嫌でしたが、パジャマも嫌でした。どっちがマシなのか分からず、真っ赤なチュチュを着て棒立ちになってしまいました。すると、いつの間にかいなくなっていた担任の先生が、「これなら白いチュチュ着れるかな?」と言いながら走ってきました。手には白いチュチュと、絵本の棚の上に敷いてあったレースの敷物を持っており、チュチュの裏側からボタンがとまらなかった背中の部分にレースの敷物をガムテープで止めて着せてくれました。若干不自然で着心地も良くはありませんでしたが、正面から見る分には全然わからないし、白いチュチュで劇で出られる喜びと安堵で胸がいっぱいになりました。劇の記憶は全然なにのですが、「一人だけ赤いの嫌だよね」とほほ笑みかけてくれた、あの時の先生の顔は今でも忘れられません。