これでもう迷わない!保育園の違いがよくわかる図

2021年6月
  • 幼稚園の先生に魔法の消毒液を塗ってもらいました

    保育園

    私が幼稚園の頃の話です。当時のお世話になった保育士の先生のことはよく覚えています。まだ二十代半ばと若く、新人の先生だったのですが、とても明るくユーモアセンスのある方で園児に慕われていました。私も例外に漏れず、先生にとても懐いていました。ある日、友達とかけっこ中に転んで膝を擦り剝いた私は先生に手当てをしてもらいました。膝が痛くて泣き止まないでいると、先生は「いたいのとんでけ」をしてくれました。それでもまだ泣いていたのは、「消毒液はとてもしみるぞ」と、男の子に脅かされたからです。すると先生は「ちょっと待ってて」と消毒液を持って行ってしまいました。しばらくして戻ってくると、消毒液のラベルには折り紙を切り抜いた星が貼られていました。「これは魔法の消毒液なの、塗ると夜にいい夢が見れるんだよ」「本当?」私は先生の言葉を信じ、しみるのを我慢しました。まわりの子たちも興味を覚えたのか、僕も私もと怪我をしてないのに並んで、それぞれ肘だの額だの好きな箇所に塗ってもらっていました。皆が先生を中心にワイワイしているので、私は膝の痛みも忘れて笑顔になりました。とても楽しい思い出です。その日見た夢は忘れてしまいましたが、しみるのを嫌がるうちの子供にも、折り紙の星を貼り付けた魔法の消毒液は特効薬になってくれています。

  • 小さい私に生き方を教えてくれた幼稚園の先生

    保育園

    私は友達の多い幼稚園児でした。私の周りには友達が集まり、いつも楽しそうでした。しかし、ある時、なにがきっかけかはわかりませんし、覚えていませんが、友達がいなくなりました。そんな寂しい幼稚園時代が私にあったのです。それを打開してくれたのが、幼稚園の先生でした。幼稚園の先生は私が寂しそうにしているのをみて、ずっとみていてくれました。私と幼稚園の先生のコミュニケーションはそこから始まりました。私は幼稚園の先生に助けられました。具体的に私のここが悪いとかを言ってくれるわけではありません。それでも私は小さい子供が学べないようなことを学べたと思っています。私が幼稚園の先生に教えられたことは、一つです。「孤立してもいい、自分らしく生きて」です。こんなことは、普通なら小学校や中学校で覚えることです。それを私は幼稚園の時に幼稚園の先生に教えられました。貴重な体験だったと思いますし、幼稚園の先生はさすがだなと思います。以後、私は小学校、中学校と友達に恵まれ、豊かな学生生活を送ることができました。自分らしく生きるということは、自分の意見を言うということではありません。あえて、自分の意見を言わなくても、芯のある心があることなのです。そのことを小さい私に教えてくれた幼稚園の先生に感謝します。

  • 頑張って牛乳を飲むとかわいい花束をプレゼントしてくれた

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    幼稚園の先生は真面目で曲がったことが嫌いな人です。いつもは優しいのに、最後までやらないとかなり本気で怒る先生でした。そんな先生を怒らせまいと、私は必死に頑張ったものです。ただ、冬になると、部屋のストーブで必ず牛乳を温めるのですが、生徒が冷たい牛乳ではかわいそうだと思うから温めてくれるのだと思います。でも、私は温めた牛乳が苦手でした。中途半端に温めた牛乳は生ぬるく、牛乳の生臭さをとても感じてしまうのです。なまぬるい牛乳は飲めないと伝えればいいのですが、せっかくのご好意を無駄にするのは悪いと思い、どうしても温めないでとは言えません。気づけば、もうストーブの上に置いてある鍋の中に牛乳が入っていました。真面目な先生は、「全て飲むまで遊べません」と言って、昼休みにも私を教室に1人だけ残して、外へ生徒と共に遊びに行ってしまいます。毎日牛乳を温めるので、毎日居残りです。もう虚しさと絶望感で先生のことが嫌いになってしまいそうになりました。そんなある日。私が全て飲めた時「よく頑張ったわね。これもあなたのためなのよ」と頭を撫でてくれたのです。それに、私の誕生日ということを覚えていてくれて、「今日は特別にいつも頑張って牛乳を飲んでいるあなたに」とかわいい花束をプレゼントしてくれました。他の生徒には内緒ねということ。やっぱり先生は優しくて、素敵な人だと思いました。それ以来、牛乳を残さずに飲めるようになりました。

  • どんな時でも平等でいてくれる先生

    保育園

    次男が保育園に通っているときの出来事です。次男が通っている保育園は、平日は15時以降が混合保育となり、年少クラスから年長クラスまで一緒に活動します。その頃はひとつ上の女の子と遊ぶことが多く、女の子たちに囲まれて遊んでいることが多くありました。ある日、よく遊ぶ女の子の1人に嫌な言葉を言ったことがあったそうです。子供同士ではよくあることだと思うのですが、たまたまその子のお母さんがお迎えに来て、その現場を見ていたそうです。女の子は泣いてしまい、事に気が付いた先生が次男とお話をしてその件は解決しました。次の日、次男をお迎えに行くと昨日泣かせてしまった女の子のお母さんが先生となにやら話しているのを見かけました。前日の件があったので、なんとなく顔を合わせるのが気まずくなり、急いで次男をクラスにお迎えに行きました。さっと帰ろうと思いましたが、先生に声をかけられ今日の出来事を伝えられました。女の子曰く、今日ホールで遊んでいる時に私の顔を蹴ってきた、と。私の頭の中はパニックです。昨日は悪口を言い、今日は顔を蹴ったのか、と。前日の件でも、自分がされて嫌なことは人にしてはいけないよ。と次男と話をしたところだったので、伝わっていなかったのか、あんなに話をしたのに。などと次男を責める考えしか浮かびませんでした。次男に、蹴ったのかと確認しましたが本人は蹴っていないと言います。ですが、前日の件もあったので強く出る事もできず、私自身が見ていたわけではないので蹴っていないと言う事もできずにいました。親として情けないのですが、正直、きっと蹴ったんだろうと思っている自分がいました。そんなやりとりをしている間に先生がホールにいた別の先生に事実確認を取ってくれており、別の子と踊って遊んでいる時にたまたま近くで遊んでいたその女の子に足が当たってしまった、ということだったそうです。私はホッとしました、それと同時に次男を信じて守ってあげられなかった自分への怒りと虚しさが込み上げてきました。親である私でさえ疑ってしまった出来事を、その先生はしっかりと平等な立場で対応してくれました。私だったら、きっとその女の子の言う事を信用していただろうなと。その先生が次男のことを日々しっかり見て理解してくれていることを改めて実感し、感謝と共にとても嬉しく感じた出来事でした。